【枯れた花束を抱く君へ】

 

 

「この花をください」

 月に一度、彼はそういって花を買いにくる。今日選んだのは、まばゆいばかりに輝く白百合だった。

 

「はい、では少しお待ちください」

 私は注文を受け取り、淡い色の包装紙で丁寧に包んでいく。

その様子を彼はいつもじっと見つめている。

『毎月毎月精がでますね。彼女さんにプレゼントですか?』

 毎度そうたずねたい気持ちを抑えるのに必死だ。分かりきった結果を聞くなどみじめなものだというのに。

  仕上げに薄い黄色のリボンを結ぶ。凛とした雰囲気を漂わせる花は、数本だけでも確かな美しさがにじみ出ていた。

「お待たせしました」

 最後に数本の葉を添えて、ようやく花束が出来あがった。

「ありがとう…とてもきれいですね」

 花束を手渡すと、彼ははにかみながら腕の中を眺める。

 しゅっとしたスーツ姿に大輪の花束はよく似合っていた。白百合の気品が彼のまとう雰囲気と似ているように感じる。

「こちらこそいつもありがとうございます。またお越しくださいね」

 愛想笑いをうかべ私は彼を送り出した。彼は軽く会釈をし、長身をかがめて出ていった。

 その所作の美しさに、ほう、とため息がでる。見目顔立ちに突飛でたものはないものの、笑ったときに下がる目元や柔らかな声色、所々整った動作にはつい見とれてしまうものがある。

『ダメダメ、相手はお客さま!いつもごひいきにして頂いてるんだし、変なこと思うんじゃないの』

それに、彼にはあの花束を渡す相手がいる。きっとあの花のように可憐で綺麗な女性なのだろう。私のような地味な女では、花束をもらうどころか彼のとなりに立つ姿すら想像できない。

ため息をつきながら、古い掛け時計を見る。

針はちょうど2時を回ったところだ。そろそろ買い出しにいかなければならない。

「そうだ! その前にあれの準備準備」

 私は棚の下から小さなバケツを取り出す。中には切れ端の花や葉っぱが入れてある。

 入荷した花というのは通常大ぶりにカットされており、お客さんに渡す際につぼみや葉っぱのバランスを見ながら細かいところを調整して花束やアレンジメントを作る。

  残った切れ端は大抵捨てられるが、それをリサイクルしてアレンジメントを作るのが私の趣味だった。

  完成したものは部屋に飾ったりしていたが、最近それをプレゼントする相手ができたのだ。

「今日は黄色の花がいっぱいあるから黄色をベースにして・・・・・・。そうだ、確か花壇に咲いてた・・・・・・」

 私は鼻歌まじりに花を選別する。この小さな花束を届けるのは、最近見つけたお気に入りのスポット。

 見通しのよい山道にたたずむお客様のもとへ。

 玄関のドアを抜けた空からは、晴れ間が見えた。

 

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  腕時計を見れば、思わずため息がでた。ずいぶんと遅くなってしまったものだ。

 予定通り花を買ったものの、職場でトラブルがあってとんぼ返りしたのが2時過ぎ。結局片づいたのは6時で、辺りの山道は赤い夕焼けに包まれて始めている。

 これではせっかくとった週休も台無しだ。とにかく、なるべく急いで坂道をのぼらなければ。

「怒ってないといいんだけどな・・・・・・なんて、自分が勝手にしてることなんだけど」

 がたがたとゆれる車内の助手席には、昼間買った白百合の花束が乗っている。

 仕様がなかったとはいえ、車内に置きざりにされていた花束は少し元気がないように思える。向こうについたら、急いで花瓶に移し替えなければならないだろう。

 長かった坂道もようやく登りきり、程よく草の生えた平野にでた。車を邪魔にならないよう山道のはじにとめ、少ししおれかけた花束を抱えて降りる。夕日に包まれた山道の風が、私の髪と白百合の花弁を赤く揺らした。

 私はちょうど夕日が沈んでいく、山の下の街中が見渡せる場所に向かって歩き出した。一歩一歩進むたびに、揺れる木々のすき間から、赤と橙が混じったような色合いの街が姿を表す。

 私はその街を一望できる場所へと歩を進める。そして片膝をつけてしゃがみこんだ。

 

目の前には、見なれた―――・・・・・・小さな墓標が佇んでいた。

 

「遅くなってすみません、先生」

 

 男は申し訳なさそうに声をかける。夕日で少し陰った小さな墓標からは、やはり何の返答もなかった。

 苦笑しながら、男は墓前の片方の瓶に花が飾られているのに気づく。

 「おや、珍しい。お客さんがきてたんですね。そういえば前にも誰かが花をそなえてくれてましたよね。今日は・・・・・・たんぽぽか」

 男はそういって反対側にそなえてあるしおれきった花を瓶から引き抜く。ペットボトルの水で中を軽く洗った後、なみなみと水をそそいだそれに、包装を解いた白百合の花束を挿した。葉についた透明なしずくが、夕焼け色に染まって滑り落ちた。

 私は瓶を元の位置に戻した後、左側の瓶から一本だけ花を引き抜いた。指につままれたたんぽぽはみずみずしい花弁を一杯に押し広げており、この場所に飾られてからそれほど経ってはいないらしい。

「なんだか懐かしいですね。あなたと初めて会ったときのことを思いだします・・・・・・ちょうどタンポポが咲き誇っていた、5月のころでした」

 隠れはじめた太陽は刺さるようにまぶしい日差しを惜しげもなくこちらに向けていた。しおれた花束はしずんでいく太陽に水分を持っていかれたように茶色く変色している。

「当時いじめられっこだった私は、よく中庭の隅の花壇で泣いていました。そこで新人教諭だったあなたと出会ったんです。先生はたしか、花壇の花に水をやりにきたんですよね。あなたを初めて見たとき、物静かできれいな先生だなって一瞬見とれてしまったんですよ」

「けれどあなたは、泣きべそをかいている私をみると、いきなり水をぶっかけてきて。『こんなとこでべそべそ泣いてるんじゃない。涙なんか流すくらいならもっと強くなれ』って・・・・・・あれはホントに予想外でした」

 男は懐かしそうに苦笑いをしながら、頭を軽くかいた。

「それからはもう死に物狂いで勉強しました。そして県内で一番いい大学に合格して、いじめてきた子たちを見返してやったんですよね。合格したとき、先生も泣きながら『よくやった!』って褒めてくれて、すごく嬉しかった」

 先ほどよりわずかに強くなった夕焼けは、目の前の墓標の影を濃くしていった。墓標ごしに見える夕日の光に、男は目を細める。

「私が教師になろうと思ったのも、あなたのおかげなんです。あなたがいたから私は変わることができた。あなたと同じ職場で働きたいと、ずっと思っていたんです」

 

 「でも、ようやく私が赴任してきた頃には・・・・・・あなたはもう、この世にはいませんでしたね」

 

ざあ、っと強く山風が吹きずさむ。 男の吐き出した湿った息を、冷たい風が遠くの街中へと運んでいった。

「自分でも女々しいとは思うんです。今までそれなりに女性とつき合ってきました。けれどどうしてもあなたのことが忘れられなかったんです。いい加減割り切らなきゃいけないこともわかっています。けれど一言」

 

「あなたに好きだと、伝えたかった」

 

 目元を指で軽く押さえ、ひざに顔をうずめる。

 余計なものまであふれてしまいそうで、今日の夕日はなんとも目に堪えた。

「・・・・・・すいません、またしんみりとしてしまいました。そろそろ帰りますね」

どれほどそうしていただろうか。気が付けば、目の前の夕日はもう半分ほど沈んでいた。辺りの木々の葉もすでに陰りはじめている。この辺りは外灯もなく、山道もあまり整備されていない。急いで降りなければ、通ってきた道も見失ってしまうだろう。

「まあ、なんだかんだで今の生活も悪くないんですよ。出来の悪い後輩の尻拭いは大変ですが、それなりに楽しいです」

 言い訳のような言葉を並べて、男は枯れた花束を片手に立ち上がった。ぱりっとノリの利いたシャツをうん、と伸ばし最後に墓標にむかって笑いかけた。

「またきます。今度来るときも、白百合を持ってきますね。やっぱりあなたといえば白百合の花、というような気がするんですよねぇ・・・・・・では」

 そういって、男は踵をかえす。来たときには沈みはじめたばかりだった夕日は、もうほとんど隠れてしまっている。辺りも黄昏時を通り越して夜の暗さに変わりはじめていた。

「っと、いけない忘れてた。返してこないと」

 車まであと数メートルというとき、男は右手に握っていたものを思い出した。

 小さなタンポポの花だ。瓶のなかから引き抜いて眺めたとき、そのまま元に戻すのを忘れていたのだ。ずっと握っていたのですこししおれてしまったが、まだ花弁の先までみずみずしさが残っている。

 男は右手に持ったタンポポを戻しにいこうと、墓標に目を向ける。夕日を背にしたそれは真っ黒な影に塗りつぶされ、刻まれた家名も読むことはできない。

 その凛としたたたずまいと山風に揺れる白百合が、誰かの力強い笑みと重なったような気がした。

「・・・・・・まあいいか、もらっていこう」

 そういって男は枯れた花束の中にタンポポの花をそっと挿し入れた。枯れた花々の中でひときわ輝いて見えるそれを見つめながら車のほうへ向かう。

 助手席に抱えていた元花束を置き、深く息を吐き出した。明日は職員会議がある。ろくになかった週休もそこそこに、会議の資料をまとめなければならない。まったく、教師という職はなんと急がしいものなんだろう。何かに感慨ぶけるヒマもろくに与えてはもらえないのだ。

「さて、戻るか」

  そういいながら、男はふと助手席のシートの上を見る。

  そこには茶色く枯れた花束の中で元気に咲いている、小さなタンポポの花。

「・・・・・・」

  枯れた花束のなかからタンポポの花をつまみ出し、しげしげと眺める。まだ水気を含んだ花は夕日に照らされ、どこか照れたような赤い色に染まって見えた。そのすがたにいつかの自分を重ねて、思わず吹き出してしまう。

 白百合の花よりも庶民的で、親しみやすい花。

 この花を見ていると、すこしだけ気持ちが楽になった。

「いつか、あの花束を作った人に会いたいな」

 きっとこの花のように明るくて優しい子なのだろうと、未だ知らぬ人に思いを馳せながら、男はアクセルを踏んだ。

 

 のちに男が、例の女性とふたたび恩師の元をたずねる半年前。

 

 夕凪が街中を照らした春の日のことだった。






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