1話








 

 

「パパぁ、どこ?」

 ズボンの裾をぎゅっと握りながら、僕は森の中をさまよっていた。なんだか甘いような不思議な匂いがして、くらくらする。僕の背の何倍もある細い木がいくつも並んで、僕が通ってきた道をふさいでしまった。早く戻らないとパパたちが心配してしまう。

『おいでよ坊や』

『こっちだよ』

 薄暗い太陽がいくつも僕の頭の上に並んで、お空にまっすぐ並びながら不気味な声で僕を呼んでいる。道の上には真っ黒な小枝が敷き詰められていて、僕が歩くたびにぱきぱきと音をたてて割れた。さっきまでふかふかの絨毯の上を歩いていたはずなのにだ。そのたびにお菓子よりも濃くて甘いあの強い匂いがして、僕はますますズボンを強く握り締めた。

(ここは、どこ?)

「パパぁ、ママぁ・・・・・・」

 森の中はいくつも太陽が浮かんでいるのに薄暗くて、出口は一向に見えない。

(こんなことになるんなら、一人で先に行くんじゃなかった)

・・・・・・ッ!」

 鼻の奥がツンとして、涙がでそうになる。

今日は久しぶりに三人でお出かけだったのだ。なのにパパとママは大人の話をしていて一向に終わらなくて。退屈だった僕は、隠れて驚かせようと思って近くにあったドアを開けた。そうしたら、なんと建物の中に森が出来ていた。大はしゃぎで探検していたら迷子になってしまったのだ。

(泣いたらダメ、もうすぐお兄ちゃんになるんだから)

 滲んできた目元をゴシゴシとぬぐい、僕は顔をまっすぐ前にむけた。

『おいでよ坊や』

『森の奥で遊ぼうよ』

 薄暗い太陽は変わらず僕を森の奥へと誘う。それを振り払うように、僕は森の中を走り抜けた。

(パパとママのところに戻ったら、いっぱい褒めてもらうんだ。一人でも泣かなかったよって、お腹の中の赤ちゃんにも教えてあげるんだから!)

 息を吸い込むたびに、濃くて甘い香りが僕の中に入ってくる。ますます頭の中が回ってきて、また涙が出てきそうになった。

「あ・・・・・・っ!」

 道の上に積み重なった小枝が僕の足を取り、バランスがくずれる。

(転んじゃう!)

 僕はとっさに目をつぶり、落ちるときの態勢に備えた。せめて小枝が顔に刺さらないように腕で顔を覆う。

「・・・・・・?」

「大丈夫?」

 いつまでも小枝の感触が来ないと思っていると、誰かの声が聞こえた。

 顔を上げると、ママと同い年くらいの、きれいな顔をした女の人が僕の顔を覗き込んでいた。お姉さんも迷子になっていたのだろうか、黒檀色の小枝よりももっと強く、甘い香りがお姉さんからふわりと香った。黒くさらさらとした長い髪は僕の顔に少しだけかかり、すこしくすぐったい。女の人はしゃがんだ体勢のまま両手を広げ、僕をやさしく抱きとめてくれていた。

「あ、ありがとうございます」

 助けてもらったのだと気づいて、僕はあわてて立ち上がろうとした。だが、僕の体はすぐに動かなくなってしまった。

 彼女の背中越しに、アレを見つけてしまったのだ。

「・・・・・・ッッ!」

 全身の血がサァ、と引いていく。見間違いかと思って良く目を凝らしたのがいけなかった。

 彼女の後ろには、森の中で一番だと思うほど大きな木が生えていた。長く細い枝は空まで届き、あの薄暗い太陽をも覆い隠そうとしている。

 アレがいたのは、幹と枝のちょうど境目。

「ん? どうかしたの?」

 思わずすがりついてしまった僕を心配して女の人が声をかけてきたけれど、恐怖で固まる僕にその声は届いていなかった。

 大きな空を覆い隠そうとする大木。

 その真ん中に、瞳を閉じて眠る女の人がいた。

 

 いや、正しくは。

 

 

 女の人の首だけが、木の上に置かれていた。















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2013.07.10