12話



 

 ―――あの事故からもうすぐヵ月。月に入ってもなお厚い朝の日。


「うそ、もうこんな時間!?父さん、どうして起こしてくれなかったの〜!」


 無駄に元気な息子の声がよく響いた。慌てて脱いだパジャマの下には、ところどころに白いガーゼが残されている。それでも入院していた時に比べたらだいぶ減ってきたものだ。
 ため息をつきながら、藍色のカーテンに手をかける。わずかにグラデーションが入ったそれを引けば、透き通った空色の日射しが部屋の中に飛び込んできた。

 今日から息子の翔太が学校に通い始める。さいわいにも夏休みをはさんで入院したので、みんなと同じ様に新学期から登校することになった。


「今日は自分で起きるようにって言っただろう。それにまだ時間はあるじゃないか」
 立てかけてあった時計をみれば、七時二十分をすぎていた。確かにいつもより寝過ごしたかもしれないが、片道十五分のわが家からなら十分間に合うだろうに。
 そういうと息子にキッと軽く睨まれた。

「今日はクロといっしょに学校いくの!少しでも遅れると1人で行っちゃうんだから」
「ああ、たしか黒羽くんのおうちの前でいつも待ち合わせしてるんだったね」
「そう!だからクロが出てくる前には待ってないと!じゃないと逃げられちゃうから」

 クロ、といえば、息子の友だちの《黒羽和希くん》のあだ名・・・のはずだ。この町に引っ越してきて以来、息子と(ほぼ無理やり)いっしょに遊んでくれてた子だ。たまの休みに、息子が嬉しそうに話していたのを覚えている。
 顔をおおうほど伸びた前髪に、全身まっ黒な服装。それと社交的とはいえない性格のために学校では浮いた存在らしい。しかし息子はそれをものともせず、見事《白黒コンビ》と呼ばれるほどに仲よくなった、というのは本人の話だ(実際には一方的につきまとい、イヤがる彼からケガをもらうことも何度かあったが)。
 一時期、家内は黒羽くんが息子に近づくのを嫌がっていたが、あの事故の一件以来ずいぶんと緩和された。一時私と家内が彼を追い詰めてしまったこともあり、しばらくギクシャクもしたが、息子や施設の子どもたちのおかげでずいぶん親しくなることができた。


 ≪しかし息子よ、それは待ち合わせじゃなくてストーカーじゃいや、いまさらなにも言うまい≫
「そ、そうか・・・」
 それ以上は口をつぐみ、私は乾いた笑みをうかべながらリビングへと降りた。

 少し前から家内は里帰りしているため、しばらくの間翔太の面倒をまかされることになった。結婚してから家事は家内にまかせていたので正直自信はなかったが、それなりにうまくできたとは思う。やはり仕事だけでなく家のこともしなければなあと改めて感じた。
 まあ、大急ぎで朝食をつめこんでいる息子には関係ないのだろうが。

「クロまだいるかな!?まにあうかな!?」
「いいから、早く支度していきなさい」
 牛乳を一気に飲み干した息子が支度をしながら私に聞いてきた。 私もコーヒーを飲みながらと返事をしたが、それも聞かずに部屋にかけ戻ってしまった。まったく、わが息子ながらあわただしいものだ。

 リンゴーン。
「おや、こんな朝早くに。いったい誰だろう」
 ちょうどそのとき、玄関のチャイムがなった。 家中に反響する音色に急いで玄関へと向かう。


「…おはよう、ございます。あの…」


 ドアのむこうで待っていたのは、予想していたよりもだいぶ小さな姿だった。

 近所の子だろうか。 私を出迎えてくれたのは、翔太と同い年くらいの女の子だった。
 肩までのびた髪に、前髪だけは左右で分けられている。それを淡い黄色のピンでとめているため、緊張でかたくなった顔色がはっきりと見えた。真新しい赤いランドセルを背負っているので翔太と同じ小学校の子だろう。
 大きなロゴがプリントされた白いシャツに細かいレースをあしらった空色のパーカーをはおり、デニム生地のスカートに黒いスパッツと濃いめのあざやかなスニーカーをあわせた服装は、線の細いからだによく似合っていた。


 だが、はて、息子の友だちにこんな子はいただろうか。少なくともいままでお見舞いにきてくれた子どもたちのなかにはいなかったように思う。けれどどこかで会ったような気がして、頭の片隅で妙にひっかかった。
 訝しむようにじっと見つめれば、目の前の少女はさらに顔を堅くして半歩後ずさる。少し不審がられたかもしれない。
 まあ、誰かは分からないが、おそらく翔太を迎えにきてくれたんだろう。そこで私は思考するのを止め、黙りきった少女にあいさつを返す。

「ああ、おはよう。ちょっとまっててくれるかな。翔太ならいま」
 すると私の言葉をさえぎるように、背後から息子がひょこっと顔を出してきた。


「あれ?クロじゃない。どうしたの?ウチにくるなんて」


「・・・え?」
 その口から出た愛称に思わず声をもらせば、少女はぱっと顔を息子にむけ、しかめ面をしながら声に答えた。 きのせいだろうか。ふっくらとした頬がほんのり赤いように思える。

「・・・遅い」
「えっ、もしかして迎えにきてくれたの!?」
「うるさい、・・・来たら悪いのか」
「全然っ!うわ〜うれしいな〜クロから迎えにきてくれるなんて!!」
「別に、そういうつもりできたんじゃない、からな」

 ≪クロ≫と呼ばれた少女は顔をしかめたまま視線を逸らした。 興奮した息子はケガのことなど忘れたように飛び跳ね文字通り舞い上がっている。
 前髪で顔が隠れていたせいだろうか、ほんのりと赤く色づく横顔にも黒羽和希くんの面影は感じられず、ただの、ふつうの女の子に見えた。

 ・・・そうか。
≪女の子だったのか・・・まったく気づかなかった≫

黒羽くん、だったんだね。ずいぶん雰囲気が変わったから気づかなかったよ」

 ハハハ、と乾いた笑みを浮かべながら、どうにかその言葉だけを伝える。
 そこでようやく思い出したように、息子は少女に話しかけた。

「そういえばそんな格好、今までしたことなかったよね。どうしたの?」

 息子のほうは前から女の子だと知っていたのか、『何を今さら』といった話しぶりだった。今さらながら、自身の人を見る目のなさにひどく落ち込んだ。家事同様精進するべきかもしれない。
 そんな私の様子には気づかず、目の前の少女はぼそぼそと話し始めた。

「・・・別に。ただ、おまえが俺のせいで悪く言われてたから。せめて見た目のせいで悪口言われないように、ふつうのかっこうにしようとおもって・・・」
「〜〜〜っ!!クロッ!!」
 そこで感極まった息子が少女におもいっきり抱きついた。少女の黒髪と息子の淡い色のそれとが重なる。
「もう!そんなこと気にしなくてもいいのに!!でも嬉しいよ。あのっ、クロがっ、俺のためにっ、がんばってくれたなんて!!」
っやめ、いいから抱きつくな!・・・ああでも」

 照れながら少女は息子を引き離した。ていねいに梳かれた髪がさらさらと揺れる。そのすき間から彼女が思い出したように声を漏らした。

「職員のひととか姉ちゃんたちに、女の子らしいふつうのかっこうしたいっていったらすごい本気でやってくれたみたいなんだけど・・・なあ、どっかヘンじゃないか?慣れてないからよくわからなくって」
 そう戸惑いながら、たずねる少女。首をかしげて話す様子は本当にふつうの女の子のようでかわいらしい。

「全っ然!!そんなことないよ。ねっ、父さん」
 息子は満面の笑みをこちらに向ける。にっこり、という効果音が聞こえてきそうなほどに輝いたほほ笑みだが、背後に何か真っ黒な何かが見え隠れしている。
≪・・・そんな笑顔で脅さないでほしい≫
 しかもああ、と一応返答したのに、息子は興奮冷めやらぬといった状態だし、少女のほうはふたたび抱きついてきた息子を引き離そうと必死で、まったく話を聞いていない。


「翔太、その辺にしておきなさい。学校に遅刻するよ」
 私はもう一度ため息をつき、手助けするように声をかける。
二人はようやく思い出したように
「あっそうだった!いこう、クロ!」
「うるさい!誰のせいで・・・ったく」

「「いってきます!」」

 
二人の子どもは私にそう声をかけ、手をつないで通学路を駆けていく。一人は笑みを浮かべ、もう一人はしかめっ面で紅く顔を染めながら。そんなに走って大丈夫なのかとも思ったが、鮮やかな服装の二人は残暑の日差しをうけ、その未来を暗示するかのようにかがやいてみえた。
≪学校の子どもたちは黒羽く・・・さんのことを知っているのかな?≫
 そのすがたを見送りながらと疑問に思った。どのみちあのかわいらしい変わりようならば注目を集めることだろうが、意外に嫉妬深い息子の反感を買わないよう祈るばかりである。

 家に入ろうとしてふと、庭先の郵便受けに目を向けた。そこから届いたばかりの新聞を取り出し、すこしながめてみる。モノクロの印字には、昨今にはめずらしい朗報を知らせる記事が書かれていた。その中でも、新しい命の誕生をしめす記事に、ひときわ目をひかれる。

「・・・」

 ひととおり目を通し、玄関へと戻る。
 家内が帰ってくるころには、この欄にひとつ、新しい名前が増えることだろう。その名前もまだ決まっていないが、今から息子と・・・そして彼女が対面するのが楽しみである。



 ((できることなら、息子と黒羽さんのようにたくましく、鮮やかな世界を生きてほしいものだ。))



 そう1人で笑みを浮かべながら、私は静かにドアを閉めた。












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