11話
「―――…結局、だめだったみたいだな」 自嘲めいた笑みを浮かべながら、クロはそうこぼした。 黒く塗りつぶされた部屋の中で、二人は互いの手を握りながら立ち尽くした。その暗闇を細やかなひかりが溶け出し、七色の輝きへと変えていく。夢のような世界のなかで、つながれたシロのぬくもりだけがクロを引き止めた。 《ほんとうに、夢だったよかったのに》 「ごめん、助けてもらったのに、全部ムダにして」 顔は上げられないままに、クロは重い口を開いた。ようやく面と向かって伝えることができるのに、頭の中には後悔しか浮かんでこない。ようやくすべて思い出したものの、今となっては乾いた笑いしかでてこない。なにせクロは助けてもらった命を投げ出して、同じ場所まできてしまったのだ。 しかしシロは首をふり、クロの手をにぎりかえした。 「そんなことないよ。ムダなんかじゃない」 どこまでもまっすぐにクロを見つめる顔は、いつもの笑顔だった。 「―――最初に目を覚ましたとき、この部屋にはオレしかいなかったんだ」 シロは唐突に話を口を開いた。周りで瞬く光が二人の肌を白く照らし出す。 「いくら探してもやっぱり出口はなくて、しばらくじっとしてたんだけど。・・・気づいたら、オレのからだから、どんどん色がなくなっていったんだ。」 「それといっしょに生きてた時の記憶も、なにもかもわすれそうになってた」 「このまま全部忘れて、真っ白になって、・・・消えちゃうんだと思ってた」 それがどれほどの恐怖であるのか、当事者でないクロには分からない。けれどふるえた声色と強くにぎられた手のひらから、彼にとってどれほどのものであったのかを教えてくれていた。 「そしたら急に、クロの声が聞こえたんだ」 シロの言葉に、いきおいよく顔を上げる。はらりと落ちる前髪ごしから合わさった目に、シロはいつもの気の抜けた笑みを向けながら話を続けた。 「そのときにはもう、誰が言ってるのかもわからなかった。でもなんとなく、オレに向かって言ってるんだろうなって思った」 《いっぱいひどいことを言って、傷つけてごめん》 《助けてくれてありがとう。優しくしてくれてありがとう。友だちでいてくれてありがとう。・・・守ってくれて、ありがとう》 《おまえは、ここで死んじゃダメだ》 《おまえは俺とは違うから。俺よりもずっときれいで、まぶしくて。俺なんかよりも、ずっとこの場所が似合うから》 一言一言かみしめるように、シロはつぶやいた。まぎれもなく『クロ』から『シロ』への“ことば”だった。 「もう何のことか分からなかったけど、気づいたら『そんなことない』って叫んでたんだ。消えちゃうかもしれないって怖さも、全部忘れて」 《・・・伝わってた》 クロは言葉もでないまま、静かに驚いていた。届くはずがないと思っていたことばは、ちゃんとシロへと届いていたのだ。 「そして・・・気づいたら、部屋の中でクロが倒れてたんだ」 「・・・え?」 「もうクロだってわからなかったけど、助けようと思って身体にさわったら、クロの『黒』がオレの中に入ってきたんだよ」 「!?」 「クロの記憶といっしょにね。ごめん、勝手に見ちゃって」 「そんなことどうだっていい!それよりお前、あんなのに触って大丈夫だったのかよ!?」 申し訳なさそうに謝るシロに、思わず声が荒くなった。ついさっき感じたばかりの、刺すように冷たく、鉛のように重い影。二回もあんな怖い目に会うなんて、自分ではきっと耐えられないだろう。 そう心配するクロをよそに、シロはあはは、と軽く笑った。 「ああ、アレみたいなものじゃなかったよ。もっとあたたかくて・・・悲しい感じだった」 「悲しい?」 「クロの記憶の『黒』はオレのなかで、色と記憶を戻してくれたんだ。そのせいで、今度はクロのほうが忘れちゃったみたいだけど」 クロの『黒』はシロを汚すことなく、『白』と交じり合って、あざやかな『極彩色』へと。 まるで、自分たちを取り囲むあたたかな色彩のように。 「クロの記憶を見てから、ホントはいっそのこと、ずっと二人でこの部屋にいようと思ってたんだ。・・・あのクイズみたいに」 「クイズ?・・・ああ、」 おそらく最初に部屋にいたときに話していたものだろう。 “外の世界におびえながらも、最後まで希望を持って死へとむかう人の話” 小学生が話題にするには、少したちの悪い話だと思って聞き流していた。 ゆっくりと思い出すように、シロは話し続ける。 「どうせ忘れてしまったんなら、つらいことも悲しいことも全部忘れて、二人でずっと一緒に・・・たとえ消えてしまっても、また傷つくくらいなら、それがいいって思ったんだ」 《この部屋からでれば、クロはきっともっと傷つく。クイズの答えみたいに、部屋の外はきっと絶望でしかない。そんな世界で、生きたいと思う?》 《オレはクロが傷つくところはみたくない。そのくらいだったら、オレは》 《ずっと2人、この部屋にいるほうがいい》 「・・・お前、そんなこと」 あのときのシロのことばと、どこかつらそうな表情が思い出された。 「でも、クロの腕をつかんだとき、思い出したんだ」 シロが言葉を続ける。それは、クロが彼にこぼした最後の言葉。 《もう友だちでなくていいから、もう二度と会えなくてもいいから、》 《起きて》 《そして、生きて》 「こんなふうに生きてほしいっていわれて、オレのこと想ってくれてる子といっしょに消えちゃってもいいのかなって思ったんだ。クロの記憶はどれも冷たくて苦しそうだったけれど。でもそれだけじゃなくて、暖かくて、やさしい記憶もたくさんあったから」 「だから、たとえ部屋の外が絶望でも、この子と、クロとずっといっしょにいたいって」 「クロと一緒に生きたいって思えたんだよ」 クロの『黒』にオレがいたから、オレも自分を思い出すことができたんだ。 クロはちゃんと、俺を迎えにきてくれたんだよ。本当にありがとう、クロ。 「シロ、・・・ッ」 クロの目からまたひとつ、なみだがこぼれて、影のなかへとけていく。そこからまた、極彩色の色がほどけて、淡いひかりへと変わっていった。 言葉にならないクロの様子に、シロは笑いながらしっかりと手を握りしめる。その感触に、クロの頬がゆるんでいく。 「帰ろうか」 どちらからともなく声をかけあえば、さっきのあざやかなひかりが二人を包みこむ。 互いのすがたが見えなくなるほどのまぶしさに、消えてしまわないように、 今度こそ離れないようにと、硬く手を握りしめた。 まばゆいぬくもりに意識を手放す直前、 かちゃりと、どこかでカギの開く音がした。 ―――・・・目を開ければ暗闇で、てっきりまたあの暗い部屋に戻ったのかと思った。が、 「・・かずき?和希!兄ちゃん姉ちゃん、和希が目ぇ覚ましたー!!!」 「和希!ああ、よかった・・・どうなることかと思ったわ」 「バッカお前、俺たちがどれだけ心配したと思ってんだ!このバカ、バカ和希!うう・・・っ」 「〜〜〜っ!!」 耳元で叫ばれ、再度意識を失いかける。どうやら兄弟たちが覗きこんでいたせいらしい。 今度はシロの両親もいっしょで、ものすごい勢いで謝られ抱きつかれた。 飛び降りてからどれほど経ったのかは分からないが、やはりずいぶんと心配かけてしまったらしい。怒ったり泣かれたり、みんなそれぞれ話し始めて聞き取れないほどだ。 どうやら窓から飛び降りたものの、下にあった植木がクッションになって助かったらしい。それでも無傷とはいかず、俺は意識を失い体中のガーゼが前より増えることとなった。 それよりも、気になることがある。 「シロは・・・どこ?」 事故の時のようにシロのことをきけば、みんな一様に口を閉ざす。 シロの意識が戻らなかったときとおなじような反応に息を飲みながら、しずかに返事を待った。 「・・・」 思わず息をのむ。周りのみんなはしばらくだまった後。 笑みを浮かべ、俺の右手を指差した。 「おかえり、クロ」 見れば、はめられたギブスの腕に添えられた手。 片目をガーゼで覆ったシロが、笑っていた。 「息子を連れ戻してくれて、ありがとう」 するりと耳に入ってきた母親のことばに、目の奥から熱いものがこみ上げた。 あの部屋で見たようなキレイなものじゃなかったけど、 透き通った透明色はあたかかく、病室の中のわずかなひかりを反射して輝いていた。 |