ひまつぶしの恋 |
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窓の外に満開の桜が見える。 そよそよとあたたかい風が放課後の教室に入り込み、二つに分けた肩口まで伸びる髪をわずかに揺らした。すこしずつ傾いてきた陽射しが、目の前で笑う彼の顔をあかるく照らす。 私のとなりに、彼がいる。 それだけでしあわせだったはずなのに。 「ねぇ・・・私たち、本当に付き合ってるの?」 どうして、こんなことになってしまったのか。 |
きっかけは友人の一言である。 「もう信じられない!なに考えてんのよあいつ!」 数日前のことだ。昼休みでにぎわっていた教室に、友人の声が響きわたった。談笑していたクラスメイトたちが何事かとこちらを見てきた。その視線に気づくことなく、友人は整った顔をしかめて声を荒げる。 あたたかく良く晴れた日だった。 新学期をむかえてからひと月。春休み気分だった学生達も、新しい旧友とそれぞれ昼食を楽しんでいる。なかには、ようやく咲き始めた桜の下で、ささやかながら花見をしている生徒もいた。薄桃色の風が、はしゃぐ生徒たちの頬をふんわりと横切っていった。 私たち二人も、窓際の席で花見ついでの昼食を楽しもうとしていた。 のだが、 「アヤもアヤよ!なんでほうっておくのよ。もっと抗議したっていいんじゃないの?ちょっと、聞いてる!?」 目の前の友人がそれを許してくれない。ココアブラウンの長い髪が動きにあわせてさらさらとゆれる。見た目はとても美人でかわいいのに、私の肩をつかんでおもいっきりゆさぶる力はものすごく強い。がくがくと頭が揺れる。 友人の剣幕にされるがままになりながらも、そろそろ首が痛くなってきたのでおそるおそる声をかけてみた。 「カナちゃん、声大きい・・・あと首がもう限界」 「そんなことどうだっていいのよ!」 言葉をさえぎり、机が壊れるかと思うほどおもいっきり叩いた。ついでに遠巻きにみていたクラスメイトたちをキッと睨みつける。整った顔立ちの人が向ける凄みは迫力が違うのだろう。周囲の人間が一様に顔をそむけた。 今でこそ凶暴な獣のようなオーラをまとう彼女ではあるが、これでも普段は温厚なのだ。一旦怒ると止まらないが、切れるまでの沸点は高いほうで、友だち思いの彼女は周りからも慕われている。 そんな彼女がここまで怒っているのは、私と―――・・・ 「お〜いアヤ!弁当くれ!」 今しがた、どかどかと教室に入ってきた彼との関係についてだ。 短くはねっ毛な赤茶の髪をゆらして、こちらにかけよってくる。 私はもっていたサンドイッチを置き、声のほうへと振りかえった。 「おはよう、タカト。昨日ぶりね」 「タカト・・・よく私の前に姿を見せられたわね。今日という今日はもう許さないわよ!」 「いや〜腹減った腹減った!今日の弁当は?」 「特製サンド。おすすめは鶏肉とたまごの親子サンド、私的にはハムときゅうりのもおいしそう」 「おっ、確かにうまそうだな」 「聞け!人の話を!!」 「ああ、悪いカナ。おはよう」 「あいさつじゃないっ!」 見当はずれな返答をする彼に、少し大きいサイズの弁当箱を手渡す。彼はそれを大事そうに受け取り、まぶしいほどの笑顔でお礼ををいった。 「いつもありがとな!」 赤茶色に染めた髪、ほどよく着くずした制服、笑顔が良く似合う顔立ち、運動神経が非常にいいが勉強はキライで、少し抜けているところはあるがそれゆえ人望のある彼。地味で平凡な私とは正反対だ。普通なら私たちはこんな親しい関係にはなれなかっただろう。 「って、またおばさんに伝えておいてくれるか?」 「ええ、もちろん」 私たちは幼なじみだった。 彼とは保育園の頃からいっしょで、それ以来小中高同じ学校に通っているのだ。母親同士も幼なじみで仲が良く、必然私たちも仲良くなっていったのだ。今でも親子で交流が深く、料理好きな私の母が二人分のお弁当を作ってくれている。 小さいころは誕生日の早い私がお姉さん役になり、泣き虫だった彼の手を引いて遊びまわったものだ。さすがに今は人気者になった彼の手を引く必要はなく、ふつうの友だちとして、いっしょに高校生活を送っていた。 ああ、そうだ。そしてつい最近。 「全く、アヤはなんでこんなのと付き合ってるのよ」 私たちは、俗に言う恋人同士というものになった。 ―――――――――――――――――――――――― 『オレ、ずっと前からアヤのことが好きだったんだ』 この春休みに、彼から告白された。。 断る理由もなかったので、私はそれを受け入れた。幼なじみから発展して恋人へ。少女漫画のようなありふれた始まり。それでもずっと、これからもいっしょにいられるんだと思うと嬉しかった。 けれどもそれ以来、私と彼はすれ違いの日々を送っている。 「あ、やっべもうこんな時間!?」 コンクリート製の壁に立てかけてある、ホコリのたまった時計。その時刻は彼が来てから十分も経っていないが、当の本人はあわてた様子で出口へとむかっていった。走り去ろうとするそのすがたに、友人があわてて声をかける。 「ちょっとタカト!アンタねぇ」 「ワリィ、これからまた用事があるんだ。また今度にしてくれ」 「待てコラ!そのセリフ二週間前にも聞いたっつ―のッ!!」 返事もそこそこに、彼は教室のドアに手をかける。そうして出て行く直前、ふとこちらを振り返った。子犬のようにらんらんと輝く瞳が、伏せ目がちな私の目を見つめる。 「またな、アヤ!」 「ええ、いってらっしゃい」 短いあいさつを交わし、彼は教室を飛び出していった。 今の時間を含め、今日彼と話した時間は5分少々。先ほどの友人との会話よりずい分と短いが、あいさつ以外に言葉が交わせただけいつもより随分マシなくらいだ。 「全く彼女をほったらかしにして!」 「だって、タカトには約束があるじゃない。忙しいんだし、しょうがないよ」 私はサンドイッチを口に運ぶ。少し塩味の利いたキュウリの素朴な味わいが口の中にひろがっていった。 そう、今彼女が怒っているのは、彼がいろんな人と交わした“約束”で飛び回り、私に全然会いにこないことだ。 その約束は千差万別で、部活の助っ人やら遊びの誘い、そしてパシリと呼ばれるようなものまで幅広い。 しかし彼はどんな約束であろうと、それをやぶったことはないのだ。 そのせいで、付き合いたてであるはずの私たちが会うのは、放課後や休み時間などほんの少し空いた時間のみである。メールや電話も、多忙な彼に負担になるのではと思うとはばかられ、ほとんど使っていない。 元々人付き合いが多い彼だったので会えなくても特に気にしていないし、空いた貴重な時間に会いに来てくれるだけで十分嬉しいのだが、友人としては大いに不満らしい。 「約束は守らなきゃ、でしょ?」 私がそう答えても、彼女は納得できない様子で頭をかかえる。 「彼女より大事な約束が校庭の草むしりってどういうことよ。大体、約束だからって彼女ほっといて他の女と遊びに行くもんなの?」 【約束】のなかでも最近多いのが、女の子からのお誘いだ。 私と彼がこの春休みからつきあい始めて以来、女の子との約束の数が目に見えて増えていった。なかには『二人っきりで遊びにいこう』という露骨なものもある。 もともと顔立ちも良く、男女ともに人気のあった彼だ。競争率の高かった彼が、クラスの隅にいるような女に取られたのが無性に悔しかったのかもしれない。 けれどそれはただの推測でしかないし、約束は彼とのもので私とは無関係だ。現に彼も、それらの約束を拒んだことはない。 「・・・あ」 ふと手元を見れば、母お手製のサンドイッチがひしゃげてつぶれている。中の具がこぼれおちそうになっているのをあわてて口に運んだ。 「とにかく、タカトの交友関係だもの。私が口をはさむことじゃないわ」 「彼女なんだからそのくらいはさんでもいいでしょうが!あーもう!」 ラチがあかない、と怒る友人。荒い息を整えながら、突然なにかをひらめいたように顔を上げ、ニィ、と口元を釣り上げた。顔立ちと普段とのギャップもあり、よりいっそう薄気味悪さを際立たせている。 「!?・・・フ、フフフ。そうよ、そうだわ」 「カ、カナちゃん?」 「もういいわ・・・アヤ、こうなったら強硬手段よ」 そういって友人は整えた長い指先をビッ、とこちらに向けて、にっこり微笑んだ。一見みとれそうになるほどかわいい顔には、底知れぬ冷たさがまとわりついている。 「『ほかの女とチャラチャラ遊んでるくせに、どうして私にはろくに会いに来てくれないの?私たち本当につきあってるの?』ってね。・・・返答によっては、一発ぶちかまして別れてきなさい」 そういって親指を立て、首の前で一文字を切りそのまま下を指す。俗に言う『ブッコロス』的な意味合いのジェスチャーだ。 なかなかに横暴な発言だが、拒否権はないのだろう。先にもあるように、普段の彼女はとても温厚なのだ。そんな人間がこれほどの発言をするということは、相当に頭に来ているということであり、むしろここで断れば、彼女がかわりに彼に一発ぶちかましてきかねない。それこそジェスチャーと同じような、ものすごく物騒な意味合いで。 「いいわね?」 春先だというのに、教室内だけが妙に肌寒い。その様子を遠まきにながめる薄桃色の花弁さえも、風に吹かれてこわごわ揺れていた。 |
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