『また約束やぶってきたの?だめだよ、約束は守らなきゃ』 『・・・気持ちは嬉しいけど、そのせいでタカトがみんなに嫌われたり、意地悪されたりするのは悲しいよ』 『大丈夫、私はタカトからはなれていったりしないから』 『じゃあ、約束しよう?』 |
今日は、少し雲がかかった日だった。 土ぼこりでうっすら汚れたガラスの向こうには、夕暮れの空。 小さなわたのような雲のすき間から、昼間見るものより何倍も大きい太陽が顔をのぞかせ、温かみのあるオレンジ色の光りを差し込ませた。私は窓を開け、そっと目を細めた春の甘いにおいをまとった風が、私の二つに結んだ髪をゆらしていった。 窓の外には昨日ごろから満開になった桜が、あたたかな夕暮れの陽射しに照らされている。今日はテレビで降水確率40%といわれていたのだが、一度灰色の雲が空一面をおおったくらいで雨粒は降ってこなかった。 「(・・・よかった)」 私は心の中でそっと胸をなでおろす。満開になったばかりの花がすぐに散ってしまうのは、少しもったいないと思っていたから。 「あ〜ようやく放課後か。今日も疲れたな」 授業を終え、人気のなくなった教室に彼の声が響き渡る。少し子どもっぽい口調の、けれど変声期を過ぎた、男の人の声。振り返れば彼は横にならんだ机の上で大きく伸びをしていた。 そんな様子の彼に、私は申し訳なさそうに声をかける。 「ごめんね、忙しいのに」 「いや、大丈夫だよ。特に約束もなかったし。アヤからの誘いだしな」 そういって彼は顔をこちらにむけて笑いかけた。その笑顔は差し込んだ日の光りに照らされ、いっそうまぶしく見えた。 私は彼のそばに歩み寄り、近くにあった机に腰掛ける。ちょうど彼の頭がすぐ隣に見えるような位置だ。 彼のほうに、そっと手をのばす。昔のクセでところどころはねた硬い髪をなでれば、相手はくすくすとくすぐったそうに目を細めた。その目元には、うっすらとクマが。 「でも、最近はずいぶん忙しかったみたいね。クマができてる」 わずかに濃くなったラインを眺めながら、私はため息をついた。 「そうだな〜バスケサッカー野球他部活の助っ人とか雑用とか急に遊びに誘われたりしてたし、時間がいくらあっても足りないな。アヤとこうやって会う時間もほとんどないくらいだ」 「そうね、でも」 「わかってる。約束は守らないとな」 そういって彼はさみしそうに笑う。昔から変わらない、彼が無理をしているときの表情だ。八の字に下がった眉と力なくゆるんだ口元が、どこか泣きそうな顔のようにも見える。 まるで、昔の彼を見ているようだ。 私に手を引かれ、泣いてばかりだったころの。 「・・・ねえ、タカト」 「ん?どうかしたか?」 何も知らない彼は、目線だけこちらに向けてくる。がっしりとした腕に浮き出る筋肉の角ばったライン。わずかに幼少時の面影が残る顔は、しばらく見ない間にずいぶんと男の子の顔になっていた。 ああ、彼はいつの間にか、こんなに大きくなっていたのか。 こんなにも彼は変わってしまったのか。 私は少し目をそらし、そしてもう一度彼と向き合った。 「・・・私たち、ほんとに付き合ってるの?」 誰もいない教室に、私の無機質な声が妙に響いて聞こえた。 ―――――――――――――――――――――――――――― 今日彼を呼びだしたのはもちろん、友人との(半強制的な)約束である、彼の本心を聞き出すことだ。本当はもう少し早く聞きに行く予定だったが、相変わらずすれ違いの日々で、ようやく会えたのは、校庭の桜が満開になってからだった。とはいえさすがに全文そのままいうのはさすがにアレので、後半の言葉だけ伝えることにした。 「付き合ってるかって、アヤがOKしたから付き合ってんじゃんか」 彼はきょとんとした顔で返事をする。 ・・・まったくもってその通りだ。彼が告白してきて、私が受け入れた、だからこそ今、この関係に悩んでいるのだ。 「うん、そう。そうだよねぇ・・・」 彼の冷静な切り返しにそう答えながら、さてここからどう切り出そうか迷っていると、顔を撫ぜていた右手をぎゅっとにぎられた。 「なんで急に?」 彼は私の手を離さずそのまま聞いてきた。 「えーと・・・付き合ってるのに私にあんまり会いにこないから、カナちゃんが心配してて。私は特に気にしてなかったんだけど、『あんまりほうっておかれてるんなら別れたほうがいいんじゃない?』って」 どう返答すればいいか一瞬迷い、結局正直に白状することにした。私はもともと嘘が苦手なのだ。 「そっか、どうりで珍しいと思ってたんだよなぁ。アヤから呼び出されるなんて」 伝えた言葉に、彼は大きくため息をついた。心なしかさっきよりも握られてる力が強い気がする。 彼はあきれたような顔で薄く笑う。目線は合わない。 「ごめんね、忙しいのに」 「いやべつに。嬉しかったし」 そういって彼は所在なさげに足をぶらぶらと揺らした。長い沈黙の中に流れる、春の香り。暖かな風がうすら寒いものに感じ始めたころ、彼は唐突に口を開いた。 「アヤは、」 「え?」 「アヤはどう思ってる?」 「なにが、」 「別れたほうがいいって、思ってるのか?」 無機質な声。にぎられた右手。どこか遠くを見つめる彼の横顔。 私は、すぐに答えることができなかった。 |
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