君が死ぬまでワガママを


1話












 

『人というのは、いずれ違えるものなのに、どうしてそんなに別れを苦しむのかな?ボクには理解できないよ』

 

『・・・』

 

 よく見知った顔はぐにゃりと笑みを浮かべる。男はそれを親の敵かなにかのように睨みつけるが、目の前でしゃべり続ける存在は気にも留めない。

 

『ま、そんなことは関係ないか。ボクにとってはただの仕事で、キミにとっては最大のチャンスなんだから』

 

 そういって白くとがった歯をむき出しにし、見えないなにかに伝えるように、それは高らかに宣言した。

 

 

『『さあ、ゲームをはじめよう!!』』

 

『―――彼女を取り戻すための、ね』

 

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 もう5月も半ばをすぎた頃。春先まで長引いた肌寒さもようやく抜けきり、部屋の窓からは鳥の鳴き声とともに朝日がさし込む。生ぬるい温度の中、男はのそりと起き出した。

 同僚たちに半強制的に取らされた今日の休暇も、本人にとってはどうにも落ち着かないようだ。休日の醍醐味でもある寝坊も、結局いつもの時間に目が覚めてしまいできぬまま起きだしてしまった。

 

《まあいいか。たまにはこんな日も》

 男は軽く頭をかいたあと、枕元においてあったケースから愛用のメガネを取り出す。朝日に乱反射する銀色のフレームをかければ、視界はよりクリアになった。

 軽くのびをしたあと、部屋の中を軽く見回す。どうやら昨日はカーテンを閉めないまま眠ってしまったらしい。窓から差し込む陽射しが反対側の壁の本棚まで届いており、すき間なく入れられた分厚い本の背表紙をてらてらと照らし出している。本棚と隣接するように置かれたデスクには、開いたままのノートパソコンと飲みかけのカップ、それとデジタル式の時計があった。時刻は7時。充電器が接続されていないパソコンはもちろん動かない。

 

 男はカップを持ちあけ、入り口のドアへ足を進めようとした。しかし、男の足首に生暖かいものが絡み、それをやんわりと拒んだ。男はちらりと足元を見て、寝起きの硬い表情を和らげた。

 

「おはよう、グレイ。なんだまた勝手に入ってきてたのか」

 

 かがみ込んで足元のそれを抱き上げる。男のうでの中で、灰色の毛並みに赤い首輪を付けた猫が、にゃあっと鳴いた。

 グレイと呼ばれた灰色猫は、のどを鳴らしてVネックの胸元に擦り寄ってみせる。男は笑みをさらに深め、猫の頭に頬をよせた。

 

「よしよし、今朝メシ用意してやるからな」

 そう言って立てかけてあったコルクボードのわきを通りすぎ、部屋から出て行く。飾られた笑顔の写真が、彼らを見送っていた。

 

 

 おだやかで静かな朝。愛猫と過ごす日々。どれも男にとって、かけがいのない大切な時間だ。しかし、男の表情と心境は、今日の快晴がむなしいほどに冴えない。

 

 なぜなら、

 

 男の日常にはもう、彼女はいないからだ。

 

 享年27歳。彼女…篠原咲(しのはらさき)は、あまりにも唐突に、その命を落とした。




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