「あら貴方、こんなところでなにしてるの?」
声のする方をむけば、巨大なテーブルの上に色とりどりの分厚い書籍が自分の身長よりも高く積み上げられている。背表紙はすべて金色で文字が記されており、まったく読めない。
その本のすき間から、小柄な姿が顔を出す。
10代前半くらいの大きな瞳が少女はなぜだか少し怒っているようだ。
「ダメじゃない、いい子にしてなきゃ!…あ、でもせっかくだし」
小さな体にまっ白な分厚いコートを着込んだ、声色的におそらく少女であろう子どもは、怒っていたかと思うと急ににっこりと笑いかけてきた。
「ちょうどよかった。これからこの書籍を本棚に移そうと思ってたの。せっかくだから貴方も手伝ってくれる?」
そう少女が示す小さな手の先には、積み上げられた書籍よりもさらに大きくて高い本棚が波紋上に広がっていた。
これから使う労力と時間を想像して、めまいがした。
「いや〜貴方がいてくれて助かったわ。久しぶりに一気に届いたから、どこから手をつければいいか悩んでたのよ」
カラカラと転がる台車の前を、少女が軽やかに歩みを進める。手には大層な量の分厚い書物を抱えている。
こんな小さな子が重そうな本をたくさん抱えて、と心配するところだろうが、かくいう自分の台車には先ほど立ち上っていた本の山がほとんど積まれており、正直少女の声を頼りに必死についていっている状態だ。
その少女はと言えば一言会話をする間に、ぶ厚い書籍を一冊片手に持ち上げ、軽快に本棚の空いているスペースに投げ飛ばしている。投げ飛ばされた書籍は一発も外れることなく本棚に収められ、自分が押す台車の上から次々と本がなくなっていく。
百発百中の腕前を見せられ、正直自分は本当に必要だったのだろうか疑問を覚え始めた。
「必要に決まってるじゃない。いちいちとりに戻る手間が省けるもの」
まるで心の内を見透かされたような言葉に思わず少女の顔を見れば、なにか思惑ありげな表情でほほえんでいる。どこかの国の教祖様のような豪奢な白いコートは、不思議と少女の雰囲気に似合っていた。
「さて、ここからは二手に分かれましょうか」
気がつくとあれほどにあったたくさんの書物は、少女の腕の中と台車の上の二冊だけになっていた。少女はローブの袖から小さな手を伸ばし、右側の通路を指差す。
「貴方はこっち。私はあっちにいってね。大丈夫。なんとなく空いてるところに放り投げればいいのよ。じゃあね」
止める間もなく少女は左側の通路にかけていく。あっという間にいなくなってしまい、途方に暮れていたがとりあえず進むことにした。
どれほど歩いただろうか。自分の身長よりもはるかに高い本棚の列は途切れることなく続き、とうとう少女と別れた場所も見えなくなってしまった。
私は腕の中の書籍を見る。金色で記されたシックなデザインのそれは、やはり解読する事はできない。なにかの辞書並にぶ厚い書籍はそれだけで内容を見ようという意志をを失わせる。
台車はとっくにその辺に放り投げてきた。たかだか一冊運ぶのに台車を使うのもばからしい。適当に捨て置くのもどうかと一瞬躊躇したが、あの少女のことだ。難なく回収出来るだろう。
それにしても、あの少女といい、この場所といい、不思議でしょうがない。この建物も、見たところこのほんの量から図書館のようにも思えるが、これほど利用者にとって不便な造りはないだろうに。
そう思いながら本棚を見上げると、自分の目の高さのところにちょうど入りそうなスペースをみつけた。少女のように投げ入れてすぽっと決められるはずもないと思っていたので、少し胸をなで下ろした。
しかしここからが問題だった。
辞書並にぶ厚い手元のそれが微妙にはいりそうで入らないすき間なのだ。両端の本を押し広げながら、どうにか入れようとするがなかなか入らない。もう散々歩いて疲れた私はどうしても片付けてしまいたかったので、懸命に隙間を押し広げた。
しかし無理をしたのが悪かった。先の方だけ入っていた本が力を抜いた拍子に抜けてしまい、そのまま隣の本を巻きこんで、通路の床に落ちてしまったのだ。たたきつけられた本はパラパラとページがめくられ、半開きになっている。
ああ、手間が増えた。私は肩を落としながらも本を拾う。
ページや表紙などが傷ついた様子はない。ほっとひと安心したところで、私はようやく気付いた。
―・・・本の内容が読める。
表紙の文字はまるで何かのデザインのように解読できない言語で書かれているが、中の内容は日本語だった。特に難しい漢字や言いまわしがされている訳でもない、現在の日本語の本だった。
なんだ、表紙の文字で最初からあきらめるんじゃなかった。
そう思いながらもせっかくなのでパラパラと読んでみることにした。
内容は物語のようだった。
ひとりの女性が生まれてからどのように育ち、恋をし、苦労の末に家庭をもち、そして死ぬまでが描かれていた。その内容はあまりに平々凡々で、こうやって書籍として残されるようなものではない。淡々と語られる内容は、物語というよりも記録といった方が正しいかもしれない。
最後の言葉が“死亡”で締められているのも、なんとも後味が悪かった。
私は気分を変えようともう一冊も読んでみた。
最初の書籍よりも少し薄いそれはひとりの男性の話で、やはり最後は“死亡”の言葉で終わっている。
もしや、と思い、私は本棚に収められた書籍に手を伸ばした。
厚さのバラバラなそれらはどれもひとりの人物を題材とした記録だった。
生まれてからどのような人生を送り、どれもこれも、最後の言葉はすべて“死亡”だった。
なんだこれは。私は身震いした。まるでこの本一冊一冊が実在するひとりの人間であるかのように感じた。
ぐるりと、私は辺りを見渡す。自分の背の丈よりも高い本棚。果てが見えないほどに並べられたそれらにすき間なく埋まる書籍たち。
そのすべてが、人間の記録であるとしたら。
「そうよ。だってここは“生命の図書館”だもの」
不意に後ろから声が響いた。
カツカツとブーツを踏みならしながら、少女がこちらに近づいてくる。
「もう、せっかく片づけたのにこんなに散らかして」
身動きひとつ取れない私の横で、少女は私が読みあさっていた書籍を本棚に戻していく。
「さて、せっかく手伝ってくれたんだし、特別にこの場所について教えてあげるわ。さっきもいった通り、ここは生命の図書館。すべての命の“記録”を管理するところよ。・・・そして私は、この図書館の“管理人”」
少女はまるで物語を語るように話を続ける。
「貴方は人間が死んだらどこにいくと思ってる?天国?地獄?正解はどちらもノー。死んだ命はまた巡るのよ。
…この場所に生きた証を残してね」
「すべての命は身体がなくなった後、まず最初にこの場所に送られてくるの。そして生前の記憶をすべて本に残した後、また地上に戻って生まれ変わるのよ。たまにうまくいかなくて前世の記録に悩まされる子もいるんだけどね。そうして命は巡り続けるの。いわばここは、命の中継地点ね」
少女は手に持った書籍の表紙を愛おしそうになぜる。
「あなたはさっきこの子の人生を平々凡々でありふれたっていってたみたいだけど、そんなことないわ。どの命もありふれたものなんてない。どれもこれも、胸にひびく素敵な物語なのよ」
そういいながら少女は本棚に本を戻す。
本棚にはあと一冊、入りそうなスペースが。
「もちろん、貴方だってそう」
少女がこちらに歩み寄り、私の頬に触れる。手のひらから伝わる温もりについまどろんでいると、
とつぜん、少女の胸元に抱きかかえられた。
「まったく、最近迷子が多くて困るわ。まあ私がちゃんと整理してないのが悪いんだけどね。でもそれにしたってあんなにたくさん来られたら整理しきれないわよ」
一冊の書籍に戻った私は、軽やかな声が話すひとりごとをただ聞くことしかできない。少女は本棚の空いたスペースに私を収めると、そっと背表紙をなぜた。
「今日はお手伝いしてくれてありがとう。おかげで助かっちゃった。また手伝ってちょうだいね」
ふわりと笑ったかと思うと少女は、そのまま背を向けて大きく伸びをした。
「さ〜て、次はどんな物語が来るのかしら。いいのがあったらまたあの子に紹介してあげよっと、フフ〜ン♪」
少女は軽やかな足取りでかけていく。春風のようなそれはあっという間にいなくなり、向こう側の果てまでいってしまった。ふたたび本棚に収められた私はゆるやかに眠りにつく。
賑やかな彼女に、ふたたび呼び起こされるまで。
|