02:利用者 |
「・・・あれ、」 飛び込んできたのは、白。 うっすらと開けた視界の先で、床も、壁も、たくさんの本が収められた本棚も、すべて塗りつぶされたかのように白い光沢を放っていた。天井からはステンドグラスの光がふりそそぎ、その隅々まで七色に染め上げている。 「あら、お客さんね?ようこそ、わが図書館へ!」 言いようのない輝きに見とれていると、背後から声をかけられた。 「ここに来るのは初めて?よければ案内するわ」 振り返ると、見知らぬ女性がにっこりとほほ笑んでいた。 アリスと名乗ったその女性は、慣れた足取りで前を進む。年は二十代位だろう。白い肌にしゅっと通った鼻筋、ぷっくりとした唇は薄紅に彩られ、妖艶さをかもし出している。薄ぶちのメガネからのぞく瞳が妙になまめかしい。 「でも今じゃすっかりなじんじゃった。ここは資料が豊富だし、コスプレし放題だし、楽しいことがいっぱいよ。まあ、つい時間を忘れて長居しちゃうのが難点だけど」 黒いパンツスタイルに白いブラウスを羽織っており、身体のラインを扇情的に表している。正直この場所の雰囲気には合ってないが、それは私も同じだろう。 (・・・私なんて部屋着だし) 彼女の後ろを必死でついていく私は、ロングTシャツにスウェットという姿だ。足にいたっては裸足である。ペタペタと歩く足の裏に、冷たい床の感触が感じられた。 本棚に囲まれた迷路のような道順の中で、彼女の後ろ姿だけが頼りに進む。 「あの、アリスさん」 「ん〜?なにかしら」 「ここはいったい、どんな場所なんですか」 「ふふ〜まだ内緒」 くるりと、彼女がこちらに向き直った。ショートボブの赤みがかった茶髪がマントのようにひるがえり、女性特有のほんのりと甘いにおいが広がった。整った顔がにっこりと笑みを浮かべる。 「ごめんなさいね。本当はわたしの役割なんだけど、初めてだし、ちゃんと説明してもらったほうがいいと思って。それに・・・」 「・・・?」 「なんでもない。さあ、あともう少しよ」 そういって彼女・・・アリスはふたたび前を向き、歩き出した。私もあわてて後を追う。七色に照らされた白い道のりを、ただひたすらに進んでいった。 「はい、到着―!」 アリスが連れてきたのは、本棚の迷路を抜けた先、大きな円卓の置かれた広間だった。中央に設置されたテーブルにはシックなデザインの分厚い書籍が大量に積み重なっていた。 その書籍の山をもくもくと人影にアリスは声をかけた。 「管理人さん、タイガくん。お客さんよ」 人影が一斉にこちらを向いた。一人は長身の青年。 もう一人は・・・髪の毛からつま先まで、真っ白に染まった少女だった。 「あらご苦労さま、ありがとうアリス」 「・・・“利用者”か」 「もう、そんな言い方しないの。せっかく来てくれたのに失礼でしょ」 「うるせー、俺にとっちゃ大してかわんねーよ」 アリスは声をかけるなり、長身の青年と口論を始めた。大学生くらいに見える彼は私より頭二つ分ほど高く、がっしりとした体格をしていた。もしかしたら、何かスポーツでもやっているのかもしれない。少しぼさぼさの青黒い短髪に凝ったデザインのパーカーとだぼだぼのパンツスタイル。少し目つきがきつくて怖いが、アリスと並ぶとまるで仲のいい兄弟のように見えてほほえましく思えてしまう。 そんな二人の会話を呆然と聞いていると、目の前に『白』が飛び込んできた。 さきほどの真っ白な少女だ。 「初めまして、ようこそわが図書館へ。私はこの図書館の“管理人”。彼は“司書”のタイガ。彼女は“案内人”のアリス。にぎやかな子たちだけれどよろしくね」 「は、はあ・・・」 小柄な私よりもさらにひとまわり小さい彼女は、にっこりとほほ笑み、握手を求める。ぷっくりとしたピンク色の頬に、愛らしい瞳。ふんわりとしたシルエットのドレスに包まれた姿は、まるでおとぎ話に出てくるお姫様のようだ。彼女が一番浮世ばなれした格好をしていたが、その分この建物の雰囲気にはよく似合っていた。 差しのべられた手を取れば、触れた白い指先はほんのりと暖かく、しっとりとした肌触りだった。触れてしまえばそのまま色が写ってしまいそうな身体は、やはりまっ白なままだった。 「さあ、あなたはどの『物語』を探しに来たの?」 「え?」 唐突に尋ねられて、おもわず変な声が出た。 「ここに来る人たちはみんな、この図書館におさめられた物語を求めてやってくるの。あなたはどの子をご所望なのかしら」 「ええ・・・」 「あ、管理人さん。その子、利用するのは今日初めてみたいよ」 わけもわからず戸惑う私に、アリスが助け船を出す。とたんに、となりの青年がぎろりとアリスをにらんだ。 「職務怠慢・・・ちゃんと説明しとけよ、案内人」 「しつれいね、私はちゃんとここまで案内したじゃない。初めてなら管理人さんからちゃんと説明してもらったほうがいいと思って。それに私、もうそろそろいかないと」 「ふふ、いいわよ。たしかに私から言ったほうが早そうだしね」 「フン」 そういってタイガは、本棚の迷路へと足をふみだした。 「じゃあ、管理人さんお願いね。今回のイベント終わったらまたくるわ」 (イベント・・・?) 「ええ、楽しんでらっしゃい」 そういってここまで連れてきてくれたアリスも、本棚の道へと消えていった。 (どうしよう・・・) ただっ広い空間の中、真っ白な少女と二人っきりになる。ここにきて急に心細くなってきた。そんな私の手を、まっしろな手のひらが包み込む。 「ここで立ち話もなんだから、上に行きましょう?」 彼女が指さす方をみれば、いつの間にか白い階段が見えていた。
「さあどうぞ」 かちゃり、とカップを差し出される。立ち上がる湯気とともにほんのりと紅茶の香りがただよう。向かい側に座った少女もすでに紅茶を飲みはじめており、私もあわてて口にふくんだ。 「・・・おいしい」 「そう、よかったわ。おかしもあるわよ」 ふと見れば、いつの間にかテーブルいっぱいに色とりどりのおかしが並べられていた。クッキー、マカロン、チョコレートボンボン。なぜかせんべいや駄菓子もいっしょに置かれている。 「さて、なにから話したらいいかしら」 彼女はテーブルに肘をつき、横をむいた。視線の先には先ほどアリスととおってきた本棚の道。二階は吹き抜けになっているようで、先ほどまでいた大きな円卓がよく見える。円卓からは放射線状に本棚が設置されており、ふりそそくステンドグラスの陽光に照らされて乳白色に輝いている。
彼女は紅茶を片手に説明を始めた。 「簡単にいうと、あなたたちのいうところの前世と来世の中継地点ね。死んだ人間の魂はまずこの場所に送られて、生前の記億だけを置いて生まれ変わるの。それを“記録”として保管・管理して貸し出しするのが、この図書館の役割」 「・・・死んだ人の」 「そう、かつて生きていた人の記録よ」 私はもう一度、下の階に目を凝らした。先が見えないほど並べられた本の道。あれらすべてが、死んだ人間の記憶なのか。さきほどアリスとあの場所を通ってきことを思うと、背中に冷たいものが走るのを感じた。 「信じられない・・・やっぱり、夢なのかな」 「別に無理して理解しなくていいのよ。夢だと思ってくれてかまわない。ただ、私は“そういう場所だ”って話してるだけだから」
「でも私、死んでませんよね。自分の部屋で寝てて、気が付いたらここにいただけで・・・」 私はあわてて尋ねた。管理人も、私を安心させるようにうなずいた。 「もちろん。あなたは死んでいないわ。アリスが言ってたでしょう。あなたは“お客さん”だって」 「じゃあどうして、どうして私はここにいるの?」 「あなたは、物語”を探しにきたのよ」 「ものがたり・・・?そういえば、さっきそんなことを言ってたような」 「ここに来る人間には、二通りあるわ。一つは、図書館での役割を持っている人。これはタイガやアリスたちのことね。二つ目はあなたのように、収められた記憶を求めてやってくる人。ここではあなたたちみたいな人のことを“利用者”と呼ぶの」 「にゃあ」 「!・・・ねこ?」 ふいに足元から鳴き声が聞こえた。のぞきこんでみると、ぽっと飛び出したように灰色の毛並に赤い首輪の猫がこちらを見上げている。その近くには一冊の分厚い本が置かれていた。とりあえず本を拾い上げれば、灰色猫は『自分はお呼びじゃないわ』というようにそっぽをむき、私の反対側の・・・真っ白な少女の元へと駆けて行った。 「ありがとう、グレイ」 「にゃあ〜」 グレイと呼ばれた猫は少女の手の中でごろごろとノドを鳴らした。すべてが真っ白なこの中で、その灰色猫の存在だけが妙にぽっかりと浮いて見えた。 「これは・・・何て読むの?」 拾い上げた本をまじまじと眺める。金字で書かれたタイトルは、どこの国のことばで書かれているのか読むことができない。深緑色の分厚い本は不思議と私の手のひらになじんだ。 「それが、あなたの求めていた“物語”よ」 「物語?記録でなくて?」 「実はその言い方、あんまり好きじゃないの。私にとっては、この子たちはかけがえのない物語。人一人が考え、悩み、そして生き抜いた、この世でたった一つの証だと思うから」 「・・・」 「さあ、読んでみて」 私は少女にうながされるまま、ぱらりとページをめくった。 |
もう少し続きます・・・;