11話



 

 

 緒方に作品を見せる約束をして以来、杉浦の苦難の日々が続いた。

「だあああああもう決まらねええ」

 杉浦は講義室のテーブルにつっぷした。六限を終え、あとは帰るだけとなった学生たちは次々とホールを出るが、杉浦だけは頭を抱えてうずくまっている。

 もう夕方の六時を過ぎたというのに、外の陽はまだ高く昇っており、少し尖った日差しを講義室にむけて差し込んできた。

力なくうつ伏せになっている杉浦に、八木と中村が声をかけてきた。

「杉ちん、もう授業終わったよ? 早く帰ろうよ」

「なんだ杉浦、お前まだモチーフで悩んでんのか」

 友人たちの声に、杉浦はゆっくりと顔を上げる。その目もとには青黒いクマが深々と刻まれていた。寝不足の肌はガサガサで、青白いを通り越して土気色になっている。杉浦はぎろりと八木たちの方に目を向けた。

「だって、あの緒方さんに見てもらうんだぜ? ヘタなものなんか見せられねえよ」

「そりゃそうだけどよ。バイトと講義以外の時間全部使ってずっと絵を描いてるんだろ? ちょっとは休んだほうがいいって」

「そうだよ杉ちん。もうゾンビみたいな顔色になってるよ」

「だけどさ、まだモチーフすら決まらないんだぜ? あれからもう二週間は経つのに、なんにも進んでねえんだよ」

 杉浦は大きくため息を付き、ガシガシと頭をかいた。風呂に入る時間も惜しんでいたため、若干フケが混じっている。一応バイトに行く前には入っているが、それでもさっとシャワーで洗い流す程度に押さえている。深夜ずっと起きているため、光熱費が心配なのだ。

「もう、だったらいっそソラさんに相談して見たらいいじゃない。確か今日デッサンに来るんでしょ?」

 ぼやく杉浦の姿に、松田も口を挟んできた。なぜか携帯をこちらに向けてきている。ピローン、という間抜けなシャッター音が響いた。

「・・・・・・おい松田、なんで俺の写メとってるんだよ」

 松田はスマートフォンの画面を操作しながら、何かを打ち込んでいる。杉浦のほうをちらりとを見ただけで、あとは画面の方に集中していた。

「ああ、これ? 東雲さんに頼まれたんだよ。『良ちゃんが元気にしてるか教えてください』って。といってもこんな写メなんか送ったらなおさら心配しそうだから送れないけど」

「はあっ!? なんでお前がそんな事してるんだよ」

「仕方ないでしょ。叩いちゃったおわびに何でもするって言ったら、そう言われたんだから。元はといえば、杉浦が東雲さんにまめに連絡してたらこんなことにはならなかったんだけど?」

「ううっ!!

 ぐさりと心臓に突き刺さるような衝撃を感じた。確かに最近緒方に見せる作品を考えていて、そこまで頭が回っていなかった。それに、杉浦は元々筆まめな方ではない。ほぼ毎日来るさやかの連絡に対応しきれてない自覚も、それを申し訳なく思う良心もあった。

 だが、と杉浦も反論する。

「で、でもあいつ、一日に何通もメールやら電話入れてくるんだぜ?」

 そんな杉浦のささやかな反論もすげなく却下された。

「それでもまだ数通じゃない。普通の彼氏彼女なら一日に何十通のメールやり取りさせられるもんなんだよ。しかも十分くらい返信しないと、『なんで返信くれないの? もしかして浮気してる? 』って相手から逆ギレされるんだから。東雲さんなんてまだ可愛いくらいだよ」

 ふう、と松田は深く息を吐いた。モテる男でも気苦労は絶えないらしい。

 それでも八木と中村は松田に嫉妬めいた視線を送っている。彼らにとっては松田の気苦労など知ったことではない。女とまともに交流できている時点で十分勝ち組なのだ。

「松田、お前あんな可愛い子とメールしあってるのかよお」

「なんなら交代する? 東雲さん、もとい女の子相手に臆することなくメールできればの話だけど」

「・・・・・・うおおおおおおおおおおおおお!!

「ああっ! 村ちんしっかりして!!

「はあ・・・・・・」

 机にうつ伏せになった屍が増えたところで、松田がメールを送信し終わった。

外の陽はだいぶ傾き始めており、差し込んだオレンジ色の光の中で、誇りがふわふわと待っているのが見えた。

「とにかく、杉浦の絵の成長ぶりを一番見てるのはソラさんなんだし、一度相談してみたら?」

「・・・・・・そうだな」

 杉浦は深くため息をつきながら。松田の言葉に頷いた。

 

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(・・・・・・とは言ったものの)

「おまたせ。今日は『飛翔』の店長から教えてもらった照り焼きで〜す」

 藤井がフライパンから平皿に肉を盛る。皮の付いた鶏肉はてらてらと飴色に輝き、じゅうじゅうと音を立てながら皿の上に下り立った。砂糖醤油のコクのある香りが広がり、藤井が包丁で切り分けると中から肉汁がじゅわりとにじみ出てきた。

「・・・・・・」

「なんかね、店長が言うには、お肉を麹(こうじ)に付けておくとお肉がやわらかくなって美味しいんだってさ。さ、さっさと食べちゃおう!」

 いただきます、といつもの号令をいって食べ始める。

一口かじると、なるほど確かに肉がぷりぷりとして、口の中でもも肉がとろけるようになくなっていった。添えられたレタスにくるんで食べると、ぱりっとした葉の食感も相まって、白米が進んだ。

「うわっおいしい! さすが店長。麹も分けてもらったし、今度は何に使おうかな〜」

 藤井は喜びながら、パクパクと口の中に照り焼きを運んだ。見た目は細いのに、食べる量は杉浦と変わらない、いやそれ以上かもしれない。『バイトとかで動くからその分消費されるんじゃない?』と本人は行っていたが、それだけで解決できる問題ではないと感じた。

 それはともかく。

杉浦はタレの染み込んだ白米をかきこんだ。

料理は美味しいのだが、悩みは消えない。

(あ〜どうするかな、やっぱ先輩に聞いてみた方がいいのか?)

 杉浦は、まだ藤井にモチーフの相談するか悩んでいたのだ。というのも、いざ緒方との約束について話そうとしたとき、ふと思い出したのだ。

(先輩、緒方さんのことあんまり好きじゃないんだよな・・・・・・)

 展覧会に行くぐらいだからそれなりに好きなのだろうと思っていたが、本人いわくあまり好きではないらしい。以前緒方さんの話題を少しだけ話した時もいい顔をしなかった。

そのため、今回緒方に見せる油絵の相談をしたくても出来ないのである。

(とは言っても、このままじゃ何も描けないままだし。でも先輩に相談するのは・・・)

「杉浦くん?」

「はいいっ!?

 うんうんとうなっていたところに声をかけられ、杉浦の体が飛び上がった。藤井はきょとんと目を丸くしてこちらを見ている。

「どうしたの? お肉なくなっちゃうよ」

「えっ」

 見ると、テーブルの平皿の上にはあと二・三切れほどしか肉が残っていなかった。まだ二切れくらいしか食べていなかったのに、藤井はいつの間に食べたのだろう。

慌てて杉浦は肉を取る。最近は藤井のすすめで自炊をし、ちゃんと三食とるようになってきた。だが、やはり自分の料理では満足しきれず、週に二度のこの時間を楽しみにしていたのに。

 あわてて肉をほおばる杉浦を、藤井は心配そうな目で見てきた。

「杉浦くん、なんか最近悩んでるみたいだよね。なにかあったの?」

「えっいやそんなこと」

 どきり、と心臓が鳴る。しらばっくれようとしてみるが、妙なところで鋭い藤井の目は見逃さなかった。

「い〜や、これは何かあるね。あ、わかった! もしかしてあれでしょ」

「ああああれってなんですか?」

 杉浦は顔には出さないように内心冷や汗をかいた。そんな杉浦の目を、藤井はじいっと目を細めて見つめてくる。その表情はどこか面白がっているようにも感じられた。

(やばい、もしかしてバレたのか? )

 杉浦は思わず、ぎゅっと目を閉じた。

 そんな杉浦の心情は露も知らず、藤井は杉浦に向かって自信満々に人差し指を指してきた。

「青空祭! 絵画科はそろそろ準備始めないとだもんね」

「・・・・・・え?」

 予想外の返答に、一瞬反応が遅れる。

 反応の悪い杉浦に、藤井の金髪が不思議そうにかしいだ。

「あれ? 違ったの?」

「あ、いやいや! .そうなんすよ!!

「でしょう! 絶対そうだと思ってたんだ〜」

 杉浦は慌てて肯定した。藤井も満足そうに頷いている。

(よかった、先輩が変なトコで鈍くて・・・・・・!)

 杉浦は内心胸をなでおろした。

 青空祭とは、いわゆる文化祭のことだ。

 ただし杉浦たちの通う大学は、秋には芸術関係のコンクールが多数あるため、文化祭に費やす時間が確保できないのである。そのため青空祭は八月、試験が終わり、お盆が過ぎた頃に行われるのだ。

 暑すぎるだの夏休みが減らされるだのと文句はたくさん言われているようだが、実家に帰りたくない杉浦としてはむしろ好都合だった。

 また、普通の出店のほかに、芸術科では個人製作・グループ制作などの作品を展示する。絵画科クラス、特に杉浦の専攻する油絵は制作に時間がかかるため、早いものでは五月くらいから準備を始める人もいるほどだ。もちろん杉浦には、そんな計画性などありはしないが。

「そっか、もうそんな時期なんだ。青空祭なつかしいな」

 残りのご飯を口に入れながら、藤井はそんなことをぼやいた。

見た目では彼女もまだまだ学生を名乗れそうだが、やはり本人にそんな気はないのだろう。

ふと、杉浦はある疑問を思い出した。

「そういえば、先輩も同じ大学でしたよね? どの学科だったんすか?」

「あれ、言ってなかったっけ。私、音楽科に通ってたの。だから青空祭ではみんなで演奏会をやってたね」

「へえ! バンドとかですか」

「う〜ん、バンドというよりはクラシック系かな。私はピアノ弾いたり、歌を歌ったりしてたよ」

「へえ、なんか意外っすね」

 杉浦は無意識に藤井の頭を見た。金色に輝く髪には薄くワックスが付けられており、ところどころはねている。

 藤井は苦笑しながら、はねたひと房をつまんで見せた。

「まあ、この髪を見ればそう思うよね」

「あ、すいません」

「いいよ。当時からよく勘違いされてたし。でも、それなりに人気はあったよ。私が作った歌をみんなが聞いてくれたのは嬉しかったなあ」

「えっ、曲も先輩が作ったんですか」

「うん、作詞作曲したよ。けっこうみんなに手伝ってもらったけど」

「へえ、すごいっすね!」

 そういうと、藤井は少し得意げに微笑んだ。薄い唇の隙間から歯並びの整った白い歯が見え隠れしている。その笑みのせいで、より一層子どもっぽく見えた。

「でも、今はやめちゃったんですか?」

 だがその表情は、杉浦の一言で消えてしまった。ぴしりと音が聞こえそうなほど、藤井の表情は固くなり、真顔に変わっていってしまった。

その様子に、ようやく杉浦はハッと思い出した。

(やべえ・・・・・・そういや先輩、今フリーターだった。音楽関係の話なんて聞いたことないし。俺、余計なこと聞いちまったんじゃ・・・・・・)

「あああの」

 慌てて杉浦が言い訳をしようとする。だが藤井は、普段と変わらぬ抑揚で話しだした。

「・・・・・・うん。本気で目指してたけどやめちゃった」

「え?」

「なんか、何もかもどうでも良くなっちゃったの」

 あはは、と乾いた笑みが藤井の口元から漏れた。大きな瞳が長いまつげの下に伏せられ、どこか苦しそうにも見えた。

 子どものような笑みと今の憂いを帯びた表情。これが本当に同一人物なのかと思うほど、その顔は違って見えて。思わず杉浦は見とれてしまった。

 だが、しんと空気が静まり返る気配に、杉浦はあわてて立ち上がった。

「おおおお俺、食器洗ってくるんで! 先に準備していてください」

「ん? うん」

 がちゃがちゃとわざとらしく音を立て、杉浦は流し台に立つ。

背後からは藤井が居間に入る音が聞こえ、すう、と音もなくドアが閉められた。その音を聞き、ようやく杉浦は肩の力を抜いた。

(あっぶねー・・・)

 時々、自分の無神経さに腹が立つ。先輩が気配りのできる分、杉浦がまだうまく気遣いができない様が際立ってしまい、よく落ち込んでしまう。

(・・・・・・緒方さんみたいに大人だったら、先輩にあんな表情させることもないんだろうな)

ふと、憧れの画家である緒方の姿が浮かんだ。

整った顔立ちに年相応に落ち着いた雰囲気のある緒方。彼ならば、藤井と並んでも違和感はないだろう。多少藤井の方が幼く見えるだろうが、それを差し引いても緒方にはあふれる包容力がある。

(それに比べて、俺は)

自分の考えたことであるのに、杉浦は深くため息をついた。

 



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2013,09,07