17話
それからさらに一週間後、杉浦は講義室のテーブルに頭を乗せ、突っ伏した。 外では相変わらずの雨模様で、講義室内もじめじめとして気分が悪い。頬に当たるテーブルの感触もどことなくじっとりとしており、なおさら杉浦の気分を萎えさせた。 (くそ、なんでなんだよ。先輩、どうして何も言わず行っちまうんだ) 頭の中までじめじめとしており、解決できない問題でぐるぐると回っていた。 出席日数の問題もあり、久しぶりに講義に出たが一向に身が入らなかった。未だ筆を持つ気にならないのもあるが、一番の問題は周囲の目だ。 父親たちの騒動のせいで、杉浦は有名人となってしまった。クラスメイトたちから遠巻きに眺められている。この居心地の悪さも彼らの計算だったのだろうか。クラスメイトたちから奇異の目で見られ、居心地が悪くなって退学するとでも? こんな時に限って松田たちとは別クラスだった。一緒にいたとしてもまた余計な心配をさせるだけだろうが、それでも遠巻きな視線よりかはだいぶましだろうに。 そんなわけで、杉浦は視線を遮るようにうつ伏せになったまま、退屈な授業を受けているのだ。 (ああもう、早く終わってくれ) だらしなくうつ伏せにしていると、突然テーブルに衝撃が走った。 顔の真横を通り抜けた衝撃に思わず体が飛び上がる。 「うおわっ!?」 「おはよう、杉浦くん。よく眠れたかな」 横を向くと、ごま塩頭の教授がニコニコしながら見つめてきた。ぷくぷくとした手のひらは杉浦の頭があった真横に置かれており、先ほどの衝撃は教授の手のひらがテーブルを叩いたものだと気づく。 杉浦はごまかすように視線を背けた。 「あ、あはは。まあそれなりに」 「そうかそうか。なら頭もスッキリしたことだし、私の説教もちゃんと聞いてもらえるね。というわけで、授業が終わったら私の部屋に来るように」 「えっマジすか!?」 「はい、文句は聞かないよ。それじゃあみんなもよそ見をせず、しっかり前を向いてね。杉浦くんみたいに個別指導を受けたくなかったら、ちゃんと授業を聞いているんだよ」 そういいながら教授は、ボードの方へ戻っていく。クラスメイトの誰かが杉浦の方に目を向け、吹き出す声が聞こえた。 (あ〜もう、ほんっとついてねえ!!) 心の中は不満で溢れていたが、教授のおかげでクラスメイトたちの目線は授業に集中するようになった。 だが、多少は居心地が良くなったものの、これ以上ペナルティーが増やされたらたまったものではない。 杉浦は慌ててルーズルーフを取り出し、板書の内容を慌てて書き出した。 「しっ、失礼します・・・」 授業終了後、杉浦は教授の部屋のドアをおそるおそる開いた。 部屋の中からは、思ったよりも朗らかな教授の声が聞こえてくる。 「ああ、待っていたよ。早く入りなさい」 「・・・うっす」 「とりあえず、そのあたりに椅子があると思うから適当に探して座っていてくれよ」 部屋に入ると、ごま塩頭の教授は杉浦に背を向け、隅のテーブルに向かってなにか作業をしていた。 教授の部屋は作業場も兼ねているようで、教授が作ったであろう彫刻作品がそこらじゅうに置かれていた。ほこりっぽい部屋はただ飾るというよりもしまう場所もないから置きっぱなしにしているというような状態で、大小様々な彫刻が床やテーブルの上に散乱している。 その上、デッサン画で使うブルータスの石膏像や、生徒の作品であろう手の粘土細工などもまとめて置かれており、杉浦は彼らの視線を感じているようで落ち着かない気持ちにさせられた。これではクラスメイトたちの視線よりもたちが悪い。 教授の方はといえばそんなもの気にも止めず、デスクの上でのんびりとコーヒーを入れてきた。手には自前の紙コップを二つ持ち、片方を杉浦に渡してきた。 「はいどうぞ」 「あ、ありがとうございます」 受け取った黒い液体の中には、白っぽい粉が浮いていた。だが、色合い的にはブラックコーヒーで、砂糖やクリープの入った形跡は見られない。 (おいおい、これって石膏像の粉とか入ってないだろうな・・・?) 杉浦がじっとカップを見つめる中、教授は全く気にすることなくごくごくとコーヒーを飲み干している。 唖然として見つめていると、教授は朗らかに世間話を始めた。 「そういえばあと一ヶ月で学祭だけど、油絵のテーマは決めたかい?」 「いえ、なにも」 「そうか、あと決まっていないのは杉浦くんだけなんだ。油絵だからもうそろそろ下描きにはいってたほうがいいよ」 「・・・すみません」 杉浦は何も言えず、ただ一言だけ謝った。 両手で持った紙コップをぎゅっと握る。杉浦の心の内を見透かすように黒い表面が波紋を描いた。そこに映る自分の顔は、ひどく不安定だった。 (わかってる。でも、どうしても描けないんだ) 杉浦はどうしようもない不安に駆られた。 絵のかけない自分など、どうしてここにいるのだろうかと。 「それとも、『自分はもう絵が描けない』と言いたいのかね」 「!?」 教授の言葉に、ばっと顔をあげる。教授は微笑みながら、杉浦の方を見つめた。そのまなざしがすべてを物語っていた。 「・・・やっぱり、親父達とのこと、知ってたんですね」 「そりゃあね、自分のゼミの子だから嫌でも耳に入ってくるものさ」 そういうと、教授は深々と杉浦に頭を下げてきた。 「え?」 「出張でいなかったとは言え、止められなくてすまなかった」 ごま塩の後頭部が見えるほど深いおじぎに、度肝を抜かれる。 杉浦は慌てて立ち上がると、お辞儀をやめるように説得した。 「え、ちょっ、やめてくださいよそんな、教授が謝ることじゃないでしょう」 だが、教授は首をふる。教授の動きにあわせて、薄汚れた白衣がひらひらと揺れるのが、どこかおかしく思えた。 「いや、あの時私がもっと疑問に思っていれば、ここまでのことにはならなかったはずさ」 「あの時?」 教授はようやくお辞儀をやめると、びしりと人差し指を突きつけてきた。 「ほら、君が緒方くんと会っていた時に、偶然私と会っただろう」 「・・・ああ!」 (そうだ! 緒方さんに昼食に誘われたとき、教授とも話をしてたんだ) 杉浦は何度か首をかしげた後、大きく瞳を見開いた。 教授は太い眉毛を八の字に下げる。 「緒方くんは学生時代からものすごい完璧主義でね、あまり学生や素人の作品は見たがらないんだ。だから君の絵が見たいと聞いて、はて、と思ったんだよ。もう何年も会っていなかったから、てっきり考えが変わったのかと思っていたけれど、まさかこんなことになるとはね・・・」 「そうだったんですか・・・」 教授はため息をつき、薄くなった頭部を抱える。しばらく見ない間に、その顔つきは随分と憔悴しきっていた。 教授は自身を落ち着かせるようにコーヒーをすすった。 「それに、藤井くんにも悪いことをした。昔の事件からようやく立ち直ったというのに」 「えっ先輩にも何かあるんですか?」 教授の言葉に、杉浦は勢いよく立ち上がった。その拍子にパイプ椅子が勢いよく倒れる。それすらも気を配る余裕はなく、杉浦は教授の話を急かした。 教授は目線を下に向け、深いため息をつく。 「ああ、何しろ藤井くんに緒方くんのモデルを依頼したのは私だからね」 「先生が・・・?」 教授は天井を見上げ、コーヒー臭い息をはいた。部屋中の彫刻の視線が自分たちに集まっているような錯覚さえ感じるほど、部屋の中はしづまり帰っていた。 「あれはもう何年前だったかな。私のゼミに入った藤井くんは当時から金欠でね。音楽関係の学科はどうしてもお金がかかるし、妹さんは医学部を目指しているのもあって家計に余裕がなかったんだ。君のように、毎日アルバイトをしながら授業を受けに来ていた。そんな状況に見かねた僕が、デッサンモデルのバイトを紹介したんだ。ヌードもあったけど、一回で結構まとまったお金が入るからね。彼女は喜んで引き受けた」 教授はそこまで一気に話し終えると、本日何度目かのため息を吐いた。 しわの垂れ下がったまぶたを固く閉じ、とても辛そうに昔のことを話そうとしていた。 「そして当時、僕のゼミに入っていた緒方くんが藤井くんを見初め、個人デッサンのモデルを依頼した」 「・・・緒方さんから聞きました。先輩は緒方さんのモデルをしていたって。その時に書いた絵が『遼遠』だとも聞きました」 「そうか、緒方くんはそこまで話していたか。・・・彼は当時スランプに陥っていてね。そんな時に藤井くんを見つけて、再び絵を描くようになったんだ。そして藤井くんも、自分の芸術に打ち込む緒方くんの姿に惹かれ始め、いつしか二人は付き合うようになった。だが、緒方くんの方は、恋人だとは思っていなかった」 教授はふいに立ち上がると、彫刻の並べられた本棚をあさり始めた。すでに本棚として機能していないそれからは、ものすごい量のホコリが舞う。 杉浦はこれ以上変なものが入らないように、手でコーヒーに蓋をした。湯気で重ねた手のひらが暖かくなっていく感触がこそばゆい。 「緒方はあくまでも『モデルとしての彼女』を好きになり、その魅力に惚れ込んだ。だから彼が思う藤井くんの魅力を最大限に引き出すため、色々口出しをするようになったんだ」 教授がしばらくあさっていると、一冊の本が出てきた。 「・・・これを見てごらん」 杉浦は近くのテーブルに紙コップを置き、本を受け取る。表紙についたホコリを軽く払うと、金字で描かれた文字が見える。『飛翔』と大きく書かれた文字のとなりにはこの大学の正式名称が書かれていた。 「これ、卒業アルバムじゃないっすか」 今から数年ほど前の、比較的新しい卒業アルバムだった。 表紙をめくると、ホコリとともにインクの匂いがふわりと舞った。 「そうだ。藤井くんがいた頃のアルバムだよ」 「先輩の、卒業アルバム?」 「これを見てほしい」 教授は何枚かページをめくると、二つの写真を指差した。 「これが入学当初の藤井くん。そしてこっちが・・・緒方くんと出会ったあとの藤井くんだ」 杉浦は身を乗り出し、示された二つの写真を見比べる。 ひとつは花見の時期に撮られたものだった。満開の桜の下で、ゼミ生たちが一緒に写っている。もう一つは青空祭の時に撮られたものだろう。手作りらしい出店の看板を掲げながら学生たちが思い思いのポーズで写真に写っていた。学生らしい、いたって普通の写真だった。 だが問題は、そこに写っていた藤井の姿だった。 「なんすかこれ・・・まるで別人じゃないですか」 杉浦は唖然とした。信じられないというように、何度も写真を見比べる。 花見での藤井は、肩口で切りそろえた黒髪にメガネをかけた姿で写っていた。シンプルなワンピースに薄手のジャケットを羽織っている。男物のVネックも、迷彩柄のカーゴパンツも似合いそうにない、少し地味な女の子だった。今よりもほんのりと肉付きがよく、スカートから伸びる足は清楚で健康的な膨らみをおびている。 対して学祭の写真では、短い金髪に男物のロックスタイルの服を着ている。メイクもだいぶ派手なものに変わっており、まるで不良の男子高校生のようだった。顔色もだいぶ悪く、半袖から伸びる腕は痛々しいほどに細かった。 「そう、緒方くんは『彼女は退廃的ですさんだ雰囲気の方が魅力的だ』といって、普段から藤井くんの服装や髪型に口出ししてきたんだ。タバコも彼の方から勧めてきてね。慣れないうちはタバコを吸いながら何度も咳き込んでいたよ」 教授はそう言うと、眉間のシワをいっそう深めた。 「そんな、先輩は断らなかったんですか?」 「最初は嫌がっていたが、『僕の期待に応えられないようなら、モデルをやめてもらってもいい』と言われてね。当時はお金もなかったし、なにより緒方くんのことが好きだったから、藤井くんも必死になっていた。私や彼女の友人から何度も緒方くんにやめるよう言おうとしてきたんだが、藤井くんが止めた。『彼の芸術のためなら、仕方がない』と言ってね」 「・・・・・・」 「そんな生活が一年ぐらい続いた後、緒方くんはある作品で賞を取り、その才能が世界中に知れ渡った・・・『遼遠』だ。その受賞を機に、緒方くんは海外へ留学した・・・藤井くんにはなにも伝えずにね」 杉浦は指でそっと写真を撫ぜた。満開に咲いた桜の下で、藤井は仲間とともに、はにかむように笑っていた。 それから青空祭までの数ヶ月間で、この藤井は消えてしまったのだ。 そして、緒方の留学を機に、藤井は完全に変わってしまったのだ。 「それからの彼女はみていられなかったよ。最初は捨てられたことに気づかず、私や緒方の友人に緒方の行方を訪ねたりしていた。だが、真実を知ったとき、彼女はひどく落胆し、心も体も深く傷ついてしまった。すべてが無気力になり、食事もろくに取らなくなってしまった。とうとう栄養失調で倒れたときにはもう、見ていられないほど痩せてしまったよ」 『不健康だなあ』 『それでも一日二食なんて、体に悪いよ』 バイト先で藤井に言われた言葉を思い出す。 (先輩はちゃんと飯を食えって言ってた。なのに俺は、タバコを吸うほうがよっぽど健康に悪いとか思って、あまり聞いてなかった・・・) そのタバコも、どういう経緯で吸い始めたのかも知らずに、自分はなんて失礼なことを言ってしまったのだろうれは藤井が体験したことをそのまま言っていたのだ。 だから藤井は、バイト代がわりに夕食を作ることを申し出たのか。 教授は、杉浦からアルバムを返してもらうと、懐かしむように写真を眺めた。 「それからは元気になったものの、大好きだった音楽にも無気力になってしまい、結局音楽家の夢は諦めてしまった。自分のやせ細った腕を見て、『私の体、すっかり枯れちゃったね』と嘲笑していたな。それでも卒業しても都内で生活していたようだが・・・そうか、とうとう実家に帰ってしまったか」 教授は少しさみしそうに肩を落とした。小柄な体が背中を丸め、さらに小さく見えた。 「・・・俺、何も知らずに、先輩」 すべてを知った杉浦は、ひどく落胆した。 あれだけ藤井に頼って欲しいと思っていたのに、真実を知るたびに、自分の無力さを思い知らされた。拒食症になるほど辛いことがあったのに、藤井は何事もなかったように笑って、自分は何も気づけなかった。 自分がもっと大人なら。 もっと頼りがいのある男だったら。 藤井は、いなくならなかっただろうに。 うつむいた杉浦に、教授は諭すように問いかけた。 「・・・なあ、杉浦くん。芸術とはなんだと思う?」 「へ?」 突然の問いに、杉浦の口から変な声が漏れた。 ぐるぐると頭を働かせながら、『芸術とは何か』を必死で考える。 (芸術・・・ゲイジュツ? 油絵とか彫刻とかか? でもそれだけじゃないよな) うんうん唸る杉浦に、教授は朗らかに笑いかけた。 「そう難しく考えなくてもいい。そうだな、君はどうしてこの学校に入学したのかな」 その問いにはすぐ答えられた。 『遼遠』だ。 「高校時代に緒方さんの『遼遠』を見て、一目で惹かれました。俺もこんな誰かの心に残るような油絵を描いてみたいと思ったから」 「そうだ、それが正解だ」 「・・・は?」 言葉の意味が分からず、杉浦は首をかしげた。隣のテーブルからコーヒーの香りがふわりと漂ってくる。 理解していない杉浦に、教授は笑いながら言葉を付け足した。 「なぜずっと昔に描かれたゴッホやピカソの絵は現代でも評価を受けていると思う? それは人の心を動かすものだからだ。人々はそれに惹かれ続け、年代を超えて受け継がれる。そしてそれは、次の画家たちにさらなる情熱を与えた。君がかつて『遼遠』に魅せられ、画家を目指したように」 「・・・・・・!!」 「緒方くんは確かに人間としては最低だが、芸術家としては確かな実力を持ち合わせている。だが、彼だけが芸術のすべてではない。彼には彼の、君には君の芸術がある」 「俺の、芸術?」 「そう。かつて、緒方くんの芸術は藤井くんを傷つけてしまったが、君の芸術が藤井くんの心を癒してくれた。その証拠に、彼女は君のモデルを引き受けただろう?」 「・・・!?」 『僕じゃダメなんだよ。前にお願いしたら断られた。今は個人のモデルは引き受けていないんだって』 コンビニに立ち寄ったとき、松田から聞いた言葉を思い出した。 その時はてっきり才能だとか、藤井の好みの問題だと思っていた。 けれど、そうではなかった。 杉浦が描いた藤井は、自然で少し子どもっぽい、女性の姿。 緒方によって捻じ曲げられる前の、藤井の本来の姿だ。 「見た目ではない、本質的に近い彼女を描いた君だからこそ、藤井くんはモデルを引き受けたんだ。『もしかしたら、なくしてしまった自分を取り戻せるかもしれない』とね」 教授の言葉に、杉浦は少しだけ気を持ち直した。 だが、緒方と父親の笑みが脳裏にちらつき、力なく肩を落とした。 「・・・でも、俺じゃだめでした。緒方さんと親父には絵を破かれるし、自信がなくなっちまった。筆を持とうとしても、どうしても描けないんです」 そんな杉浦の肩を、教授のぷくぷくとした手が優しく置かれる。 「それは君が藤井くんの過去を知らなかったからだろう? 私の話で、緒方くんのことも、昔の彼女のことも知ったはずだ。今の君なら、本当の藤井くんの絵が描けるはずだ」 今度は両手を肩におくと、教授はまっすぐ、杉浦の目を見つめてきた。 「お願いだ。もう一度、彼女の絵を描いてくれ」 つぶらな瞳はやや潤んでおり、今にも泣きそうな顔になっている。 この教授もまた、藤井を傷つけてしまったことを後悔しているのだろう。 自分がきっかけで傷つけてしまったにもかかわらず、教授にはどうすることもできなかったのだ。 「・・・・・・」 杉浦は数秒ほど考えたあと、テーブルに置いていた紙コップを取る。 ぬるくなったそれは、相変わらず石膏だかクリープだかわからないものが浮かんでいる。 それでも、茶色く映った杉浦の顔は、まっすぐ自分を見つめていた。 「・・・っ!」 ぐっと覚悟を決め、コーヒーを一気に煽る。ざらりとした感触が舌の上に残り、のどにつまって何度かせきこんだ。 驚いた表情の教授が、じっと杉浦を見つめてくる。 今の杉浦の目に、迷いはなかった。 「先生、コーヒーごちそうさまでした。おかげで目が覚めました」 杉浦は空になった紙コップを教授の手に突き出した。 「杉浦くん、」 「俺、やってみます。それでどうにかなるかはわかりませんが、やれるだけのことはやってみようと思います」 「・・・すまない、ありがとう」 教授の顔は、見たことがないほどくしゃくしゃになっていた。自分より何十歳も年上だというのに、まるで子どものようだと思った。 「そうだ、少し待っていなさい」 「?」 軽く会釈をし、立ち去ろうとする杉浦を、教授が引き止めた。 そのまま机に向かうと、無造作に置いてあった書類を端に押しやり、メモ用紙に何かを書き出していった。 しばらくすると、杉浦に四つ折りにしたメモ用紙を差し出した。 「よければこの場所に行ってみるといい。学生時代、彼女がよく通っていたんだ」 「先輩が?」 「なにか創作のヒントになるかもしれん」 「・・・・・・分かりました。ありがとうございます」 杉浦はメモを受け取ると、上着のポケットの中に大事にしまった。そしてまた軽く会釈をし、教授の部屋から足早に立ち去った。 部屋に残された教授は、自分の作り上げた彫刻とともに、若者の後ろ姿を見送った。 |