十一話


 

 

目を覚ました善光の視界に、見慣れない天井が飛び込んできた。

 すすのついたそれはずいぶんと年季が入っており、ところどころ変色してしまっている。それはかつて寝泊まりした書物庫の天井とよく似ていて、一瞬自分がまだ書物庫の中にいるのではと勘違いしそうになるほどだ。 

「ここは・・・・・・痛っ!」 

 布団から起き上がろうとしたとき、右肩に激痛が走る。思わず肩を押さえればざらついた包帯の感触があった。かすかにつんとするような香りもし、薬草によって手当てされたことがわかる。 

「そうか、渡辺さんに担がれてからユエと別れて、そのまま気を失ったんだ・・・・・・」

忘れられていた痛みに今までの記憶が次々と呼び起こされる。 

善光が横になったまま周囲を見渡すと、右隣に並べて敷かれた布団に横たわる見慣れた人物の姿を捉えた。 

「戸部さん」 

 布団に横たわる戸部は、深い眠りに落ちているようだ。普段鋭い目つきで睨んでくる瞳はまぶたによってきつく閉じられ、息苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。疫によって真っ黒に染まっていた左手は善光と同じ白い包帯に包まれているが、その痛みと高熱はまだ続いているのだろう。額に浮かぶ汗が一粒、つうと滑るようにこぼれた。 

「戸部さん、貴方はあの神社に来たのは、やっぱり僕のせいなんですか」 

 聞こえていないと知りながらも善光はつぶやいた。 

 返答の代わりに聞こえたのは奥のふすまが開く音だった。 

「おや、もう目覚めたのかい?」 

「お婆さん」 

 先ほどの老婆が桶を持って部屋に入ってきた。そのまま戸部の枕元に座ると、水に濡らした手ぬぐいを戸部の額にかける。熱にうなされる表情がわずかに和らいだ。 

 善光は老婆の挙動を観察しながら、おそるおそる尋ねてみた。 

「あの、ここは?」 

「ワシの家じゃよ。ちょうど神社と麓の中間にあるんじゃ。連れの二人なら、今は村の方に戻っておる。向こうの仲間たちと騒動の後片付けをするんだとさ」 

「・・・・・・そうですか」 

 視線を落とした善光に、老婆は言葉を続ける。 

「全くお前さんたちときたら、とんでもないことをしてくれたね」 

 老婆が大げさにため息をつく。善光が首だけ声の方にむけると、相手もまた善光の方を見つめていた。半分を白髪に覆われた顔は、怒っているような、何かを諦めたような、なんとも形容し難い表情を浮かべていた。ただその表情を見た善光の中で、一つの仮定が浮かび上がる。 

「お婆さん、一つ教えてほしいことがあるんですが」 

「おや、最近の若いもんは礼のひとつもいえないのかい」 

 茶化すように鼻で笑う老婆に、善光は構わず話を続けた。

「助けてもらったことには感謝しています。でも貴方には、まだ僕たちに隠していることがあるでしょう」 

 弧を描いていた乾いた唇が、きつく引き締められる。 

「僕が麓で聞いたことを覚えていますか? 貴方はユエのことを、『あの子』といった。これは、疫病神が小さな子どもの姿をしていることを知っていたから出てきた言葉ですね。それと、ユエの疫は、お婆さんには全く効かなかった。なぜですか?」 

「・・・・・・」 

「それは、あなたの隠された顔の部分と何か関係があるのですか?」 

 相手の表情は変わらない。ただ一瞬だけ、老婆の肩が震えただけだ。 

 それからどれほどの時間が過ぎただろう。両者ともに一歩も譲ろうとはせず、互いに視線をかわしていた。 

 壁にはめ込まれた格子戸の隙間から橙色の夕焼けが差し込んでくる。それはしわを刻んだ老婆の横顔を照らし、濃い影を落とした。 

 遠くの空でカラスの鳴き声が聞こえた時、老婆はこらえきれぬように重い息を吐いた。 

「まったくお前さんは、余計なことをしてくれたわい。もう少し、もう少しでワシの願いが叶ったというのに」 

 そう呟く老婆に、善光は詰め寄るように言葉をかけた。 

「教えてください、あなたはユエを知っているんですか? あの子自身は自分は何も知らない。千鳥も話してはくれなかった。これだけの事を起こした以上、何も知らないままでいるわけにはいきません。だから」 

「わかったからそう興奮するな。傷口が開くぞ」 

 片手で善光を諌めながら、老婆は自身の髪に触れる。くすんだ白髪が耳にかけられ、隠されていた左半分の顔が露わになる。 

 夕日に晒された地肌に、善光は静かに目を細めた。

「やっぱり、そうだったんですね」 

 老婆はくくっと口元をつりあげた。左半分の皮膚がひきつれたように歪む。 

「あの神様のことを知っているかだろ? ああ知っているとも、あの子のことなら何もかもね」 

 肩を震わせて笑う老婆の顔はどこか苦しそうで、安らかなものだった。まるで長年抱えていたものを、ようやく投げ捨てられると言わんばかりに。 

「なにせワシは、あの子と同じ血を継いでいるんだから」 

 笑みを浮かべるその肌は、火傷でも負ったかのように赤黒くただれていた。 

 それはまさしく、疫病神に触れた戸部の手のひらと同じ疫に冒された肌の色だ。

 

「ワシの名は楓(かえで)。かつてあの神社を収めていた神主の娘で、あの子・・・・・・由縁(ゆえん)姉さまの妹さ」 

 

 

 




back top next





2014,08,14