十二話


 

 本間善光が社を訪れる八十年ほど前。

 薄暗い林の中で、幼い少女が息を弾ませながら林の中を駆け回っていた。

腕の中には今朝採れたばかりのキュウリや茄子をいくつも抱えており、みずみずしいそれに笑みを浮かべながら、少女はただただ足を動かした。 

 土肌の見える道を登っていくと、朱色の壁にたどり着く。壁の上からは銀杏や桜の木々が青々と茂った葉を揺らしており、セミの鳴く声がいっそう強く聞こえた。 

 それからしばらく歩くと巨大な楼門が彼女を出迎えた。細長いヒモのようなしめ縄が付けられたそこには石畳が丁寧に敷き詰められており、汗だくの彼女を招き入れた。 

「ん〜・・・・・・あっ!」 

 幼い少女は額の汗をぬぐいながら門の向こう側を覗き込んだ。しばらく目を凝らしているうちに、社の隅から誰かが姿を現す。

 年は男でいえば、そろそろ元服を迎える頃だろうか。八つの少女よりさらに年上の少女は、朱色の袴に真っ白な水干を身につけた神職の格好をしていた。背中まで伸びた艶やかな黒髪は細長い三つ編みで二つに結ばれている。透き通るような青空からは変わらず暑い日差しが差し込んでくる中、彼女は汗のひとつもかかずに涼しげな表情を浮かべていた。 

 幼い少女は現れた彼女の姿とらえると、元気な声を張り上げながら駆け寄った。 

「姉さま!」 

「あら、楓」 

 姉と呼ばれた少女が振り返り、幼い妹に笑みを返す。そしてころころと鈴の鳴るような上品な声色で妹を迎え入れた。 

「もう楓ったら、また獣道を通ってきたのね。頭も着物も泥だらけよ」 

「えへへ、だって石段の道より早く着くんだもん」 

 三つ編みの少女は近づいてきた妹と目線を合わせ、頭についていた泥を払う。ふわりと揺れた姉の髪からは、ほのかに香の匂いがした。 

 泥まみれの少女、もとい楓は、少し照れたように笑いながら腕の中の野菜を姉へと差し出す。姉はきょとりと黒檀色の瞳を瞬かせる。 

「これ、姉さまと食べようと思って!」 

「まあ、また村の人から頂いてきたのね。こんなにたくさん・・・・・・ちゃんとお礼を言わなきゃダメよ」 

「言ってるよ! 今日も神社に行くって言ったら分けてくれたんだよ」 

「そう、なら神様にもお供えしなくちゃね」 

 姉は少女の手から野菜を受け取ると、かわりに自分の手を差し出した。 

「さあ、まずは体についた泥を洗いに行きましょう」 

「姉さま、髪も結って!」 

「はいはい」 

 楓が姉の手をとり、足を弾ませながら喜んで姉の横に立つ。姉もまた、そんな妹の様子に微笑ましさを感じながら幼い手を握り返した。 

 

 

 楓八歳、由縁十二歳。 

 

 二人の姉妹が共に過ごした、最期の夏の出来事だった。 

 

 





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2014,08,14