疫病神奇譚



四話


 

青い空に雲ひとつない秋晴れの続く昼下がり。

 村で宿屋がわりにされている屋敷では、今日もせわしない声が飛び交っていた。

 手入れされた庭からは小鳥のさえずりと眠気を誘うような暖かな日差しが差し込んでいる。ただ残念なことに、屋敷に滞在している客人たちにはその心地よさを感じる余裕はないようだ。

屋敷のとある一室では八畳ほどの広間に九つほどの長机。さらに巻物、木簡、半紙と大量の読み物がつめられている。そんな狭い中に十数人ほどの男たちが部屋につめこまれ、今日もせっせと働いていた。

 本来、これだけ男たちが詰められていれば汗臭い匂いがしそうなものだが、幸か不幸か彼らのいる部屋は、汗よりも湿った墨の匂いの方が強く香っていた。

 彼らは都から任を受け、はるばるやってきた精鋭の部隊だった。

 ただし、彼らは武士のような戦の精鋭ではない。

 彼らは文献を、『物語』を集める精鋭としてこの村へとやってきたのだ。

「おーい、こっちの資料はまとまったぞ」

「わかった。今度はほかの作品との類似点、どの分野の物語かをまとめといてくれ」

「ほれ、頭領から下りてきた文献、持ってきたぞー」

「馬鹿野郎! せっかく作った資料を踏んでんじゃねえ!」

 慌ただしい声が部屋中を駆け巡っている。畳の目が見えぬほど敷き詰められた木簡や半紙の中で、ある者は書物を読み、ある者は筆を走らせながら、せっせと資料をまとめていた。

 そんな中、眉間に深いしわを刻んだ男が部屋の隅に向かって声を上げる。

「善光。頼んでたヤツは終わったのか?」

 一番端の机で筆を走らせていた善光は男に歩み寄り、半紙の束を差し出した。

「ちゃんと終わってますよ。戸部(とべ)さん」

「・・・・・・フン、ならいい。次はこっちをまとめておけ」

 戸部と呼ばれた男は善光を一瞥すると、荒々しく半紙を受け取る。出来上がった資料を確認すると、木簡の束を善光に押し付けて自分の作業を始めた。

「相変わらず戸部さんは愛想がないですね。ありがとうとか、もうちょっと言葉をかけてあげたらいいのに」

そんな二人を傍らで見ていた男が、呆れた様子で間に入ってきた。恰幅のいい体格に温厚そうな顔立ちの男で、太く艶やかな髷が彼の実直さを物語っている。

対する戸部といえば、一応髷の形は残っているもののところどころほつれがかっていた。着ている直垂も年季の入った薄茶色で、袖口には古い墨の汚れが目立っている。戸部の様相も、ある意味では仕事に対する実直さを物語っているのかもしれない。

「うるさいぞ臼井(うすい)。しゃべってる暇があったら手を動かせ」

 眉間にしわを寄せ、戸部は明らかに機嫌の悪そうな声をあげた。対する臼井の方はまたかというように小さくため息をつく。

「すまないね、善光くん。戸部さんは昔から無愛想だけど、根は良い人だから」

「いえ、ちゃんとわかってますから・・・・・・ただちょっと大人気ないかなとは思いますけど」

「何か言ったか?」

「なんでもないです」

 ポツリとつぶやいた声にも戸部は鋭く反応し、隈の浮かんだ目を善光にむけてきた。善光もまた即座に顔を背けた。

(二人共同い年のはずなのに、この性格の違いは何なんだろう)

 組の中で一番年齢の幼い善光は、胸の奥でこっそりとため息をついた。

 

                     *

 

『子どもに語るおとぎ話でも侮ってはならない。それが物語である以上、人々にとってかけがえのない歴史の証であるからだ』

 

 それが善光が属する、物語編纂(へんさん)組の信条だった。

 物語の始まりは、たった一つの言葉だ。人は誰かに伝えるために言葉を使い、それが会話という手段となり、やがて記録となる『物語』へと変化してきた。

 たかが作り話、と笑う者もいるだろう。けれど、帝や善光たち編纂組の考えは違う。その作り話の中には、人々の営みが含まれているからだ。

 たとえば、かぐや姫を見つけた竹取の翁はどんな仕事をしていたか。源氏物語の光源氏は宮中でどんな生活をしていたか。人に作られた物語は生活や衣服など、かならずその時代の一部分が反映されているのだ。身分の差や時代の流れで今の時代では体験できないことを、物語では味わうことができる。

 また、物語の裏には真実が隠されていることがある。

善人でありながら周りの人間によって陥れられ、極悪人として処刑された者の話など昔からよく聞くものだ。

 そんな先人のためにも物語を編纂し、真実を知ることは必要なのだと編纂組五番隊頭領にも、目の前でじろりと睨んでくる上司にも散々言われてきたことだ。

 元々都住まいだった善光がこの地にやってきたのは、この物語編纂組の一つ、五番隊に合流するためだった。

 数年ほど前、渡辺(わたなべ)という男が善光の指導役となった。彼は当時元服したばかりだった善光を一から育て上げ、世話を焼いてくれた恩人だ。

 その渡辺が今回、上司から地方の物語編纂の任を受け、旅に出ることになった。そして部下である善光にも共にいかないかと声をかけてきたのだ。

 元々善光も書物や物語を読むのが好きだったこともあり、二つ返事で了承した。ただ善光は叔父の了承を得てからの出発となったため一週間ほど遅れての合流となり、現在は半年以上もこの地で共に仕事をしている。

ユエと出会ったのは、ちょうど合流する直前のことだった。

「最近はどういうわけか、頭領から早急に仕事を回すようせっつかれてるんだ。お前らもくだらないこと喋ってる暇があるなら、さっさと手を動かせ」

 戸部は深いため息をつきながら、筆を巻物の上にすべらせる。流暢な文字が黄色がかった紙の上に次々と浮かび上がっていく。

それに反論するのは、長年の付き合いのある臼井だ。温和な顔立ちの目に力をいれ、少しだけ怒ったような顔をした。

「だからと言って、ねぎらいの言葉をかけないのはどうかと思いますよ。特に善光くんは新人でまだ若いのに、よく頑張ってくれているじゃないですか」

「若い奴が人一倍働くのは当然だ。俺だってコイツくらいの年だった頃は、どんな下働きでもやったもんだ」

「貴方と善光くんとでは立場も家柄も違うでしょう!」

「ま、まあまあ臼井さん。僕は大丈夫ですから」

 危うく喧嘩にまで発展しそうになる二人に、善光が慌てて間に入った。組の先輩である臼井は、優しい反面他者に対して特に厳しい戸部と口論になることがある。それもまた二人の長い付き合いゆえのものなのかもしれないが、見ている方は肝が冷えて仕方がない。

厳しい顔つきだった臼井は一転、優しい目つきを善光へと向けた。

「善光くんは年の割にしっかりしてるなあ、戸部さんにも見習わせたいよ」

「おい臼井、聞こえてるぞ」

 傍らで喚く戸部をよそに、臼井はウンウンと頷きながら善光の頭を撫ぜた。

ゴツゴツとした大きな手のひらが、善光の髪をかき分けるようになぞる。頭を撫でられるのは別に嫌ではないが、少し子ども扱いがすぎるのではないか、と善光は常々思っている。

 臼井と戸部は、元々武家の生まれだそうだ。刀の腕も立ち、勉学にも通じる彼らは、善光と同じく渡辺に声をかけられ、この旅に同伴していた。

 臼井は幼い兄弟を養っていくためにもせっせと働いていた。そのせいか、童顔で幼い印象を受ける善光をまるで弟の様に接してくるのだ。

(これでも僕、とっくに元服してるんだけどな・・・・・・)

 最年少である善光にとって、子ども扱いというのは良くも悪くも不満だった。とうに大人の仲間入りをした身であるのにと、少しだけ煩ワシく思うときもある。

 そう言う意味では一端の大人として扱ってくれる戸部の方がはありがたい存在だった。だが戸部にとって善光は、あまり好ましい存在ではないらしい。

生まれが貧乏だった彼は人の何倍も努力を重ね、十(とお)に別れた編纂組のひとつ、五番隊の代表となった。身にしみるほどの苦労を重ねてきたからこそ、渡辺の勧誘でぽんと入ってきた都住まいの善光には人一倍厳しいのだろう。彼に認めてもらうには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 そんなことを善光が考えていた時、臼井が頭をなでていた手を止めた。

「そうだ、善光くん。頭領が自分の部屋に来るよう言っていたよ」

「え、そうなんですか? なんだろう」

 善光は小さく首をかしげた。

「なんだ、俺は聞いてねえぞ。なにか頭領にどやされるようなことでもしでかしたのか?」

 会話に入ってきた戸部の眉間のしわが深くなった。それを臼井が朗らかな微笑みで受け流す。

「まさか、それはないよ。きっと善光くんが前に持ってきた文献のことじゃないかな?」

 ぎくり、と善光の背筋が凍った。

「あれ、この地方の事がすごく詳しく書いてあって驚いたよ。いったいどこのお宅から借りてきたんだい?」

 善光の異変には気付かず、臼井が何気ない様子でたずねてくる。

「えっと、すみません。頭領との約束で、話すことができないんです」

 善光は必死に頭を働かせながら、平常心を装って返答した。

「そうなのかい? 残念だな。僕もいっしょにお伺いして見たかったのだけど。あ、でもちゃんとお礼はしておくんだよ?」

「はい、それはもちろん! じ、じゃあ僕、頭領のところに行ってきますね!」

「え? ああ、いってらっしゃい」

 善光はわざとらしく会話を区切ると、足早に入口へと向かった。あまりに慌てすぎて、床に散らばった文献の山に何度も足を取られそうになる。

「善光くん大丈夫かい? どこか具合でも?」

「いえ、なんでもないです・・・・・・それじゃあ!」

 臼井はすこし訝しげにしながらも、後輩の姿を見送った。

「・・・・・・」

 戸部もまた、無言でその姿を見送る。

 鋭くとがった眼差しが善光の背中へと突き立てるように尾を引いた。

 




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2014,07,20