疫病神奇譚



五話


 

 

実は神社のことは臼井達には秘密にしている。

 神社のある山は周辺の村では出入り厳禁とされており、善光たちの滞在する村も例外ではなかった。

どの村の人々も皆、口を揃えて『あの神社に入ってはならない』と話していた。伝えられ方は様々だが、『悪いことが起こる』『たたりにあう』と村人たちの子どもの頃から語り継がれており、掟を破った者はたとえ村人でも厳しい罰が与えられることになっている。

 そんな中、部外者が神社に入り浸り、あまつさえ元凶の疫病神と会っていることがわかったら、村人たちはどうするだろうか。良くて村から追放、最悪の場合は掟破りの人間として、村人と同じく処罰が下されるかもしれない。

 もしそんなことになってしまえば、責任は自分だけでなく組の仲間にまでふりかかるのだ。村人に見つかることは絶対に避けなければならない。

 だから、ユエのところに通うのは、人気のない夜から朝方だけと決めていた。日の出までに間に合わなかった時はそのまま神社に泊まり、なるべく人目につかぬよう注意を払っていた。

 知られてはならぬ。気づかれてはならぬ。

 その秘密を知るのはただ一人、この編纂組を仕切る頭領だけなのだ。

                               *

 真上にあった太陽が少し傾いてきた頃。

 善光はようやく頭領の部屋の前にたどり着いた。

「失礼します、遅くなってすみませんでした」

 ふしくれがやや目立つ引き戸を軽く叩き、善光はそっと声をかける。

「おう、善光か。入れ、っと」

 返事はすぐに帰ってきた。聞きなれた低い男の声が中から聞こえてくる。

 その言葉を聞いた善光は取っ手に手をかけ、ゆっくりと戸を引いた。

「失礼します・・・・・・いっ!?

「どうわっ!」

 なにかが崩れるような音が響き渡る。

 そのまま部屋の中に入ろうとしたとき、何かが善光の鼻先をかすめていった。

 反射的に身をひけば、足元に木簡の束が大量に転がっているのが見えた。それと同様に、見慣れた男の身体が部屋の中央でうつ伏せに倒れている。部屋の中には嗅ぎなれた墨の匂いと年季の入った木と紙の匂いが漂っていた。

「・・・・・・頭領、何してるんですか?」

 善光は身をかがめ、足元に転がる男に声をかける。

 善光の声に反応するように男の指がぴくりと動き、顔を抑えながらゆっくりと起き上がった。しわを刻んだ顔はさながら子どものように屈託のない笑みを浮かべており、善光の視線に気づくと、照れくさそうにへへっと声を上げた。

「いや、仕事するのもお前を待つのも飽きてきてな? そういえば最近ちょっと体がなまってたから、ちょっくら素振りをな?」

「・・・・・・それで大事な資料である木簡を刀がわりに振り回した挙句、そのあたりに積み重ねておいた木簡の束にぶつかり自分もそれで転んだと?」

「いや〜すまんすまん」

「言葉だけ可愛く言ってもダメですよ御年四十五歳! 良い大人なんだからいい加減落ち着いてください!」

 声を荒げる善光に、編纂組五番隊頭領の渡辺(隊内最年長)は大口を開けて笑い飛ばした。腹の奥にまで響くような、豪快な笑い声だった。

 この男こそ、物語編纂組の頭領・渡辺だ。年中書物に囲まれた生活をしているとは思えないほどがっしりとした体つきをしており、藍色の直垂からのぞく腕は善光より何倍も太く、刀の腕も立つ大男だ。かと思えば頭もよく、都から直々に物語編纂の任を任されるほど有能でもある。戸部と臼井を足して互いの優れた部分を取り出したような人物だった。だが性格はどちらにも似ずに豪快で男らしく、人を惹きつけるような魅力も持ち合わせていた。

 彼は以前善光が宮仕えしていた頃の指導役でもあり、付き合いの長い相手である。今回善光がこの物語編纂組に参加したのも、彼の誘いがあってのことだった。

「まったく、いい加減部屋の整理くらいちゃんとしてくださいよ。呼び出されるたびにひどいことになっているじゃないですかこの部屋」

「大丈夫だって。どこに何があるかはちゃんと把握してるんだから」

(そういって毎回まとめた資料を無くしたりしているくせに・・・・・・)

 散らばった木簡の束を片付け終え、善光は疲れたため息をついた。

 頭領の部屋は善光たちの作業部屋よりやや広い作りになっているはずなのだが、使っている人間の性格が出ているのか、書物や紙の束が所狭しと散らばっていて足の踏み場もない。いや、最低限人の歩く場所は確保されているのだが、それ以外はほとんど足の踏み場もない。空いた空間をたどっていけば大きな長机がでんと置かれており、そこにも紙の束が連なっている。 善光と頭領はその長机を間に挟み、向かい合って座っていた。

「それと。今は他の連中はいないから普通に呼んでくれ。お前にまで頭領呼びされるとかたっ苦しくて仕方ない」

「・・・・・・分かりました、渡辺さん」

「そうそう」

 渡辺と呼ばれた男は、満足そうに笑みを浮かべた。

「とりあえず話の前に返しておくわ。ありがとな」

 渡辺が取り出したのは、一冊の書物だった。見覚えのある表紙に善光はああ、と頷く。

 受け取った書物は、ユエのいる神社の蔵の中にあったものだ。

 

『なあ善光。しばらくあの神社に通って、書物を借りてこれないか?』

 善光がユエの元へ通うきっかけは、渡辺のこの一言からだった。

ユエと出会った日の翌日、山を降りてようやく渡辺たちと合流したとき、書物のうちの一つをうっかり持ってきてしまったことに気づいた。

どうしようかと悩んでいたところに渡辺が現れ、書物を読んだところ、血相を変えてどこにあったものか訪ねてきたのだ。

 当時、物語編纂組の調査は困難を極めていた。

 農民である村人たちは字が読めず、書く事もできない。伝えられている伝承も口伝がほとんどだった為、人によって若干内容が異なる上に裏付けとなる記録もなく、収集がつかなくなっていたそうだ。また年寄りが少ない村で昔の出来事を知る人物はほとんどおらず、いたとしても門前払いをくらったのだと、渡辺から聞いたことがある。

 そこで目をつけたのが、善光の持ってきた書物だ。

 八十年以上前に廃社された神社は周辺の村々のまとめ役であったらしく、作物の収穫高や当時の出来事など、過去の資料が多数残されていた。さらに、村人に伝えられた物語の源も書かれており、まさしく編纂組にとっては救いの一手となったのだ。

 無論、良いことばかりではなかった。

 ユエもとい神社の存在は、村人たちにとって最大の禁忌だ。立ち入り禁止区域である場所に堂々と立ち入り、あまつさえ書物を借りてくるなど、村人たちに知られたら大変なことになるだろう。

 それでも情報収集に切羽詰っていた渡辺は、危険を犯してでも資料を集める必要があったのだ。

 最初は渡辺自身が神社に取りに行くと言っていたのを善光が無理やり引き受けた。彼は頭領であり、組の代表だ。一人で動くにも目立ちすぎる。その点善光は組の中でも一番の下っ端であるし、なにより神社の主であるユエたちにも面識がある。万が一村人に発見されたとしても、少なくとも渡辺よりは組への非難も少なくなるだろう。

『僕がユエに会いに行きたいんです』

 それでも自分が、と勇む渡辺を、善光はこういって引き止めた。一晩を共に過ごして情が移ったのだろうか。千鳥と一緒とはいえ妹と同い年くらいの少女がずっとあの神社で暮らしているのを放ってはおけない。もし渡辺に頼まれなかったとしても、善光は再びユエに会いにあの神社に足を運んだだろう。

 善光にとっては、渡りに船の提案だった。

渡辺は善光の熱意にしぶしぶ了承し、以来半年間、善光はユエの元に通いつづけた。

 といっても、村人に見られるわけにはいかないので、真夜中人が寝静まっているときに会いにいくのがほとんどだ。組の作業によってはそのまま神社で一晩泊まり、朝方に帰ることもあった。事情を知らない組の仲間からは、どこに恋仲の相手がいるのかとはやし立てられることもあった。

(ユエと恋仲なんて、ありえないのに。どちらかといえば兄妹だよ)

 そう茶化されるたびに、苦笑いで曖昧に答えていた。

「それで、『話の前に』ということは、他に何か用事があるんですか?」

「・・・・・・ああ、まあな」

「?」

 そう言うと渡辺は、どこかそわそわとした様子で口ごもった。

 渡辺の歯切れの悪い様子に首をかしげる。まだるっこしいことが嫌いな渡辺は、竹を割ったようにすっぱりと言い切る性分だった。だが今の渡辺は居心地が悪そうに目線をそらし、貧乏ゆすりをするばかりだ。

「なあ、善光。俺とお前が出会ってからどれくらい経ったか覚えてるか?」

「は? なんで急にそんなこと」

「いや、ふと気になってな」

 一時の間がすぎた頃、渡辺は視線を横にずらしながらこちらの様子を伺ってくる。突然の問いに善光は何度も目を瞬かせる。

「そうですね、僕が元服する前でしたから、もう五・六年は前からじゃないですか?」

 苦笑いを浮かべる渡辺の様子に首をかしげながら、善光は口元に手を当てて思案した。

「そうか、もうそんなに経つのか」

 渡辺は懐かしむように目を細め遠くの空を眺めていた。格子戸からのぞく空はすでに陽が傾き始めており、少しだけシワを刻んだ頬を橙色に染め上げた。

 渡辺の眺めている空の先は、都の方角だ。ここからはいくつもの山に隠れて見えないが、善光たちはあの山を超えて、この村までやってきたのだ。

 善光もまた、遠い過去を懐かしむように橙色の空を眺めた。

「お前も昔はまだ可愛げがあったのに、すっかり一人前になったなあ、善光」

「渡辺さんのおかげですよ。仕事だけではなく色々なところにつき回されて、神経が図太くなったんです。でも、ちゃんと尊敬してますし、信頼してますから」

「・・・・・・そうか、その言葉を聞いて安心した」

 遠くを眺めていた渡辺が、安堵したように肩の力を抜いた。

「だから、いったいなんの話なんです」

「単刀直入に言わせてもらうぞ、善光」

 渡辺の野太く低い声が、静かに響き渡った。腹の奥までずしりと響く声色に、善光もまた緊張の表情を浮かべる。

 渡辺は姿勢を正し、腕を組み直して善光に向き直った。先ほどとは違う雰囲気に、善光もあわてて背筋を伸ばす。いったいなんの話をするつもりだろうか。

「一週間後、この村を発つことになった」

「・・・・・・?」

「あの神社に行くのは、次で最後にしろ」

 言葉の意味が理解できず、息をすることもできず。

 幸せな日々は、終わりに向けて静かに動き出していた。





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2014,07,20