九話
千鳥が案内した道は、本道からさらに真横に移動した獣道だった。 ただの藪にしか見えない場所をくぐり抜けると、大きく開けた場所に出る。そこから更に土肌の見える道のりをたどって山頂を目指した。険しい山道だったが、千鳥が近道と称するだけあって普段の半分ほどの時間を短縮できた。もっと早くに教えてくれてもよかったのだろうが、本来はイノシシやクマの通る道であることを聞くと教えなかった千鳥の判断に感謝すら覚えた。 藪の中を突き進んでいくと、ところどころ御札の貼られた壁が見えてくる。どうやら善光たちは神社の裏側にたどり着いたようだ。そのまま壁を伝って門の入口へと足を進めた。 「おい、本当にここか?」 「やれやれ、まさかこんな山の中だったとはなあ」 「!」 すると、表門の方角から誰かの話し声が聞こえてきた。善光たちは慌てて壁の影に身を隠し、入口の様子を伺う。 そこには、十数人ほどの村人たちが門の前に集まっていた。みな善光と大差ないほどの若い男ばかりだ。少し泥のついた小袖の着物は、普段田畑を耕す時に着用しているものだろう。 だが畑仕事の一休みというには、随分と物騒な出で立ちだ。彼らの手に持っているのは畑で使うクワや鎌、そして狩りに使う竹弓矢だった。普段から使っているそれらは鋭く研ぎ澄まされ、差し込んだ朝日を浴びて鈍い光を放っている。それらをユエに向けようとして持ち込んだものだと思うと、背筋に悪寒が走った。 「人間どもめ、主に刃を向けるなど何を考えているのだ」 千鳥も同じ考えなのだろう。彼の真っ白な体が怒りで丸く膨れ上がっている。 「どうしよう、このままじゃユエのいる書物庫まで入られちゃうよ。なんとかして追い返さないと!」 善光は壁で隠れるギリギリまで顔を出しながら、昨夜の人物を探そうとした。何人かの村人は村で見たこともあったが、肝心の人物はすでに門の中に入ってるらしく姿をとらえることは出来なかった。 「だが、そんな恐ろしい神様が本当にこの神社にいるのか?」 様子を探る善光たちの耳に、村人たちの話し声が飛び込んできた。が、どうにか内容は聞き取れるが、この地方特有の訛りが強いのが特徴的だった。 「間違いない。オレ、お偉いさんたちが話してるのを聞いたんだ。それに見てみろ、この人の手! ただの火傷じゃねえ、こんなの人間には無理だ。きっとこの手も今年の不作も、悪い神様の仕業なんだって!」 村人のうち、ひときわ若い青年の顔がくもる。それを見た他の村人たちも、苦虫を噛み潰したような顔をした。 (あの人、見覚えがある。たしか屋敷で使用人をやってた人だ) ユエの存在を知るのは編纂組の中でも善光と渡辺だけだ。しかし善光が借りてきた書物の中には当然、この神社のことが書かれているものもいくつかあった。それは組内では周知のものであり、おそらくその話を小耳に挟んだのだろう。だからこそ村人たちは今回の件をすぐにこの神社と結びつけたのだ。 「よし、いくぞ。お前らも気を引き締めろ」 そう善光が考えを巡らせているうちに、村人たちが一斉に移動を始めた。年若い男たちが一人、また一人と門の下へと入っていく。 (まずい!) 善光がたまらず飛び出そうとした時だ。 「待ちやがれ!」
村人たちとは逆の方角から聞きなれた声が聞こえてきた。あわてて草むらにしゃがみこんで視線を向けると、紅葉に染まった石畳の上を二つの人影が駆け上がってきた。 (あれは・・・・・・渡辺さん? それに臼井さんまで) 二人は村人たちの目の前で立ち止まると、平然では見ないような険しい視線で彼らを見上げた。村人たちの間にも動揺が走る。 そんな彼らの中から一人前に歩みだす者がいた。 先ほど中心となって話していた下手人の青年だ。 青年は渡辺たちの気迫にやや押されながらも、毅然とした態度でむかえ打っている。 「都のお偉いさんか。まさか、こんなとこまでついてくるとは」 「ったりめえだ! 勝手に仲間を連れていっておいてどの口が言ってるんだ。大体、ここは村でも立ち入り厳禁だろ? お前らこそ、なんでこの神社にいやがる」 「・・・・・・村長たちには内緒で来た。今回の件はオレ達だけで解決するんだ」 歯切れ悪くつぶやいた青年に、臼井が一歩足を進めて声を荒げた。 「ならばなぜその人を、戸部さんまで連れていったんですか」 (え?) 「決まってるだろ。悪い神様がいるって、この人が身をもって明かしてくれたからだよ」 青年が一歩身体を横にずらし、後ろに控えていた村人に目線を送る。すると左右を村人たちに支えられながら、誰かが善光たちの前に姿を現した。 「・・・・・・っ、」
そこには、だいぶ憔悴した様子の戸部がいた。眉間にしわを寄せ、苦しそうに荒い息を繰り返している。 (戸部さん!? どうして村人たちに捕まってるんだ) 善光の疑問に答えるように、青年が言葉を続ける。 「朝方畑の様子を見に行こうとしたとき、麓の鳥居の下でこの人が倒れているのを見つけたんだ。びっくりしたよ、介抱しようとした時にコレを見たときはな・・・・・・」 そう言うと、青年は戸部の左手をかかげた。 「うっ・・・・・・!」 思わず口元をおさえ、善光は胃からこみあげる何かを飲み込んだ。 そこには火傷のように皮膚がただれた痕が広がった、かろうじて人の手だとわかるものが見えた。おそらく皮膚がくっついてしまったのだろう、ぎこちなく動く指の中で中指と薬指がくっついたままになっている。その上ただれた部分がどす黒い染みのように変色しており、傍目から見れば黒い手袋をはめているようにも見える。 ユエたちから聞いた時点である程度想像はしていたが、それを軽く上回るほどに疫の被害はひどいものだった。これなら村人たちの怯えようにも頷ける。 「戸部、やっぱり感づいてたのか」 「・・・・・・」
渡辺の問いかけにわずかにまぶたを開けたものの、戸部は何を話すというわけでもなくただ視線を送るばかりだ。額には脂汗が浮かび、遠目から見てもかなり顔色が悪い。 「いったいどうしちゃったんだろう、戸部さん」 「あの症状は主の疫をくらったせいだろう」 「え?」 村人たちの対立から目をそらさぬまま、千鳥がつぶやいた。 「疫とは、簡単にいえば病(やまい)の集合体だ。少々の疫でも流行病となるものをあれほど多量に受けたのだ。あの男の身体は今頃高熱と痛みに冒され、立っているのもままならぬほどであろう。そうでなければ、一端の武人があれほど簡単に捕らえられるはずがない」 「そんな・・・・・・!」 鼻を鳴らす千鳥の視線の先で、渡辺たちが刀に手をかける。 「一応いっとくが、この神社と今年の不作は無関係だ。たとえその悪い神様ってのを倒したところで、なにも変わらねえよ」 「それでも、こんな恐ろしい力を持った神様だ。ほうって置くわけにはいかない」 「だろうな。だが、だからといって仲間を見捨てるわけにはいかねえんだよ・・・・・・臼井、かまえろ。じゃねえとこっちがやられる」 「渡辺さん、ですが」
「わかってる、仮にもさんざん世話になってた身だ。ちいと骨だが、峰打ちで仕留めるぞ。とにかく戸部を取り返して、どうにか騒動を静めるんだ。善光もまったく帰ってきやがらねえが、あっちもあっちで何か考えがあるんだろうな」 「・・・・・・わかりました」 渡辺たちはため息をつきながら、鞘から刃を抜き出す。朱色の世界を切り出すように現れた白銀が、場の空気を一気に緊迫したものへと変える。刃を向けられた村人たちもあからさまにうろたえながらも、各々の武器を構えはじめた。 状況はどちらにとっても不利だろう。渡辺と臼井は刀の扱いに長けてはいるが相手は十数人、人質もいる上、むやみに傷つけるわけにはいかない。村人たちも数では有利とはいえ、普段は畑を耕している者ばかりだ。戦いの場に慣れている二人とでは相性はあまり良いとはいえない。 互いににらみ合ったまま、張り詰めた空気が流れる。息を飲むのもためらうほど重い空気の中、渡辺が一歩を踏み出した時だ。 「ん〜、だあれ? 善光?」 ふいに場違いな声が、境内の方から聞こえた。 「ユエ!?」 「しまった、主が!」
眠っていたはずのユエが門の下に現れた。おそらく外の騒ぎを聞きつけ、書物庫から出てきてしまったのだろう。熟れすぎた果実のような甘ったるい匂いが、隠れていた善光たちのところまでかすかに漂ってきた。声色から察するにまだ寝ぼけているようで、今の状況を把握しきれていないらしいことが伺える。 「なんだ、あれ・・・・・・?」 門の前に群がっていた村人たちが、一斉に後ろを振り向いた。そして村人たちは一様にユエを指差し、怯えた声を上げる。 「ひっ、髪が真っ白だあ!」 「なんておそろしい・・・・・・これが悪い神様だか!?」
無理もない。幼い少女の姿をしているとはいえ、白銀の髪に黄金の目を持つ者など彼らにとっては不気味にしか見えないのだろう。善光でさえ今は見慣れたものの初めて見たときは彼女の容貌に怯えてもいたのだ。 それでも戸部だけは彼女の姿に動揺を見せず、ただ静かな眼差しで少女を見つめていた。 「お前は、昨日の」
「ん〜、善光のお客さん?」 寝ぼけたユエが村人の方へゆっくりと近づいてくる。彼女の履く赤い駒下駄がカラリと乾いた音を立てた。 「こっちにくるぞ、構えろ!」 「く、来るなあ!」
怯えた村人たちが手に持っていた農具を構える。 「――――――」
「む! こら、善光!」 鈍く光る鎌の先が頭上高く掲げられるのを見た瞬間、善光の足はすでに動いていた。もつれそうになる足を懸命に動かし、ユエを背に隠しながら立ちはだかる。そして、村人たちに向けて声を張り上げた。 「やめてください! この子は悪い神様なんかじゃありません」 「あ、善光」 「ユエ、早く社の中へ戻るんだ」 「え?」 ようやく目を覚ましたユエがこちらを見上げてくる。 「馬鹿、前を見ろ!」
突然、戸部が声を張り上げる。その声にはっと目を向けると、村人の一人が弓を構えていた。きりきりと弓を引き絞る音が、かすかに耳に届く。 その矢の先は、まっすぐユエに向けられていた! 「危ないっ!」
善光はとっさに門の下をくぐり、ユエの身体を抱き寄せる。 直後放たれた矢は善光の右肩に突き刺さった。 「あっ、ぐ!!」 「善光? ・・・・・・善光っ!」 二人はそのまま石畳の上へと倒れ込んだ。 「善光、しっかりして、善光っ!」 「う・・・・・っ」
倒れ込んだ善光の体をユエが必死に起こそうとするが、大の男の身体は重く、ユエの細腕ではびくともしない。その間にも善光の右腕からは刺さった矢の隙間から血がどんどん溢れていき、木綿の小袖を赤黒く染めていく。ユエは突然の出来事に口元を押さえていた。 渡辺のまなざしが矢を放った村人を睨みつける。 「てめえ、善光に何しやがんだ!!」 「ちがう、オレはただ、悪い神様をやっつけようとしただけで」 その言葉を言った直後、物陰から白いものが飛び出してきた。 「カアッ!!」 「うわ、なんだこいつ。イテッ、イテテ!」 「白いカラスだ、こいつも悪い神様の手下か!?」 とうとう堪忍袋の尾が切れた千鳥が、声を荒げながら矢を放った村人へと襲いかかる。鋭い鍵爪とくちばしにつつかれて、村人の顔にはいくつもの引っかき傷が付けられた。 だが、村人もただでやられているわけではない。 「っ、この! いい加減にしろ!」 村人がもっていた鎌を掲げ、当てずっぽうに振りまワシた。それは頭上を飛んでいた千鳥の体を切り裂いて、門の内側へと叩き落とす。 「がっ!?」 「センちゃん!」
石畳の上に横たわる純白の翼は鮮血に染まって変色し、周囲を痛々しい紅色へと染めていく。すぐ横にいたユエの小袖にも、赤い斑点が散った。 「あ、ああ・・・・・・!」 黄金色の瞳が大きく見開かれ、徐々に輝きを失っていく。 呆然として動けないユエに、先ほどの村人が続けて鎌をふりかぶった。 「今度こそ、っぐふ!」 その切っ先がユエに触れることはなかった。 「・・・・・・人がまともに動けないのをいい事に、調子に乗ってるんじゃねえよ」 「戸部、さん」
いつのまにか村人の腕を振り切った戸部が、ユエの前の村人をなぎ払った。手に持っていたのは、いつも身につけている短刀だ。漆塗の鞘がついたままのそれを軽く振るうと、善光たちをかばいながら村人に立ち向かう。 「戸部さん、僕」
「いいからさっさとその子を連れて奥に引っ込め」 その背を見つめていた善光は、肩の痛みに耐えながらどうにか矢を抜こうと左手で引っ張る。だが引っ張っても痛みは増すばかりで一向に抜ける気配がない。傷口から流れる血も多く、立ち上がろうとすれば強いめまいが邪魔をする。 喧騒は増す一方だった。門と山道との間を境界に瀕死の戸部が応戦を続ける。今はまだこちらが優勢だが時間の問題だ。おそらくそう長くは持たないのだろう。 「ユエ、君だけでも早く、奥に逃げるんだ」 善光は左手を下ろし、前方に座るユエへ声をかけた。 だが肝心のユエはあまりの光景に放心していた。血を流しながらぐったりと横たわる千鳥を前に、うつむき、うなだれて動けずにいる。変わり果てた日常に呆然自失する気持ちはわかるが、それでも今は早くこの場を離れなければならない。 「ユエ、早くするんだ。じゃないと村の人たちが」 「あ、あ」 「・・・・・・ユエ?」 そこで善光は、ようやくユエの様子がおかしいことに気づいた。 透き通るようなユエの横顔に、影のようなものが揺らいで見えたのだ。それは顔や首の肌を滑るように移動しながら徐々に広がっていくと、まるで大きな黒い蛇のように、少女の体のなかで蠢き始めていた。 そして周囲に、鼻を抑えたくなるほど濃厚な甘い匂いが漂い始める。 「なんだ、一体なにが」 唖然とする村人をよそに、ユエはゆっくりとした動作で村人たちの方を向いた。そして山道との境界にある石段に手を置くと、何事かをつぶやきはじめる。 「どうして、どうしてこんなヒドイことするの? センちゃんも善光も私も、なんにも悪いことしてないのに・・・・・・」 「ユエ、なにを」
「出てって・・・・・・出てってよおおおおおおおおおおお!!」
ユエの叫び声とともに、強い地響きとともにユエの手のひらから疫が溢れ出した。
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