7話

  
 重いまぶたを、ゆっくりと開ける。


 焦点のあわない瞳で周りを見渡そうと身じろぎするが、足やうでのあちこちがうまく動かない。どうやら自分はベットの中にいるらしい。自分のものとは違う、白くてやわらかいふとんが覆いかぶさっていた。起きようとからだを動かせば、全身に鈍い痛みが走った。

 無理に起き上がるのをあきらめ、軽く息を吐く。天井から降りそそぐ照明の明かりが、ふかふかしすぎるふとんと共にからだを覆っていた。白い発色のぬくもりは、自分には居心地が悪く感じた。

 ≪ここは、どこだ≫
  クロはまどろんだ瞳で周りに目を向ける。満足に動けない身体ではいまいち自分の状況がつかめない。しだいに感じ始めた痛みのせいで頭の中はなおさらにこんがらがった。どうにか痛みをこらえようと歯をくいしばったとき、ふと、だれかが覗き込むように自分の顔に影がかかった。


 ≪・・・だれ、だ?≫

 目をこらしたとき。

「おーい、カズキが目ぇ覚ましたぞー!!!」
 室内に聞きなれた声が響いた。耳元で聞こえた大声に意識が飛びかける。

「マジで!?ねぇちゃん早くナースコール!」

「ああ、よかった!すぐお医者さん呼ぶからまっててね?」
 
 どうやら、施設で一緒に暮らす兄弟たちが覗きこんでいたらしい。兄弟たちはからだを大きくうごかして大声で喜んでいた。
 ここでようやく、クロは自分が今、病院のベットで寝ていることに気づいた。



「そろそろ目さまさねぇと危ねぇかもとか言われて、心配してたんだぞ〜?っとにおまえは」
 そう話すのは、施設の中でも一番年上の兄。施設に入所してから、何かと自分をかまってくれていた人だ。短く切ったぼさぼさの黒髪を揺らしながら、パイプ椅子の上に行儀悪く座っていた。それを二番目に年上の姉が、お見舞いのリンゴを剥きながら咎める。
 クロのベットは大部屋の中でも入り口にいちばん近いところにあり、病棟やトイレなどの移動もしやすい。相変わらず自分を取り囲む白い色には慣れないが、兄弟たちのおかげで施設に入る前入院した時よりもだいぶ居心地よく感じた。 まだお昼ごろらしいが、大部屋に兄弟たちの声はよく響き、カーテン越しからとなりの人の笑う声が聞こえた。


 どうやらあの事故以来、2日間眠り続けていたらしい。あらためて自分のからだを見てみれば、左うでと右足はギブスで固定されており、それ以外にもからだのところどころに打撲やすり傷があった。今はまだ自力で起き上がれないが、もう何週間もすれば退院できるそうだ。


「とにかく、無事でよかった。いまはケガを治すのに専念しようね」
「そうだぞー、はやく退院してまた対戦しようぜ!兄ちゃんとやっても弱すぎてはなしになんねーし
「んだとゴラァ!!この口か?この口がいったか!」
「いひゃいいひゃいッ!やめひぇにいひゃん!!
「ふたりともしずかにしなさい!ここは病院よ!?」
 剥いたりんごを差し出しながら、からだを起こすのを手伝ってくれる姉。なまいきなことをいって頬をつねられる弟。
 施設の兄弟たちとは一緒に暮らしているということもあり、けんかをすることも多々あった。けれどそれ以上に、自分のことを想ってくれているということも感じている。境遇がにていることもあって、学校のクラスメイトたちに感じる壁も“汚してしまう”という恐怖心もなかった。全員血はつながっていないが、俺たちはみんな家族だといっていたのは誰だっただろうか。


 けれど今は、それをのんびりと感じているわけにはいかない。
 どうしても聞かなければならないことがあった。



「シロはどこ?」


 消え入りそうなほど小さい自分の声は、兄弟げんかの騒ぎのなかでもよく響いた。


 目を覚ましたときは混乱していたが、あの事故のことを忘れたわけではない。クロでさえこの状態なのだ。自分をかばって車にひかれたシロが、到底無事とは思えない。最悪―――…自分が想像しているようなことになっているかもしれない。
「あー翔太な。あいつもココで入院してるぞ」
 けれど、クロの考えに反して、最年長の兄はほがらかに笑っていった。

「え、」
「ちょっと、」
 姉が深刻そうな顔で兄に詰め寄る。兄はそれをなだめながら言葉を続けた。
「あいつもまあ、それなりにケガはしてるけど、今はお前と同じで元気に療養中だ。歩けるようになったら、向こうから会いにくるだろ」
「・・・でも」
「ん?」
「でも俺、シロに、ひどいこと・・・」
 自分の中のぐるぐるとした暗い思いがあふれそうになり、胸元をぐっと強く握りしめた。
 シロが無事であったことに心から安堵したが、重くのしかかる不安は消えない。いままで、シロにはたくさんひどい事を言った。しかも今回は、自分のせいで事故にあったのだ。そんな自分でも、それでもシロは会いたいといってくれるだろうか。


「んなもん聞いてみなきゃわかんねぇだろ。大体、おまえはなんでも悪いほうに考えすぎなんだよ。翔太はそんなやつじゃねぇって、おまえがいちばんよく分かってるはずだ。ちゃんと思い出してやれよ」

 経緯を聞いた兄は、クロの頭をぐしゃぐしゃと撫でながらそう返した。

「・・・ま、いまはケガなおすのが先だけどな。ああそれと、おまえはもっと自分の考えてることとか伝えたほうがいいと思うぞ。・・・相手の気持ちが分からなくて不安なのは、おまえだけじゃないんだからな」

 兄のことばがすう、と胸の中に落ちていく。
 頭をなでる指先からあたたかい、けれど決して嫌いではないぬくもりを感じた。


 それからクロの意識が戻った記念にと、病室でお祝いが始まった。
 といっても、お菓子とジュースを持ち込んだささやかなものだったが、元気な兄たちは大声で騒ぎ、姉は騒ぎすぎる兄と弟を叱りながら同室の患者さんたちに謝っていた。となりのベットのおばさんは怒る様子もなく、元気そうで何よりだわと笑って祝福してくれた。
 夕暮れの病室はほどよく明るく、俺を暖かくつつんでくれた。どこかくすぐったい暖かさだった。

『おまえはなんでも悪いほうに考えすぎなんだよ。翔太はそんなやつじゃねぇって、おまえがいちばんよく分かってるはずだ』
『おまえはもっと自分の考えてることとか伝えたほうがいいと思うぞ。相手の気持ちが分からなくて不安なのは、おまえだけじゃないんだからな』

 兄に言われたことばを頭の中で反芻しながら、クロは思う。

《歩けるようになったら、シロに会いに行こう。》

 もう遅いのかもしれない。シロは自分のことを嫌いになったのかもしれない。

 それでも出来ることなら、自分の方から会いに行ってはっきり伝えたい。
 今まで言えなかったこと、今回のこと。それに、これからの二人のこと


 できればちゃんと、アイツの瞳を見て言えたらいいけれど。


 けれど、この時クロは気づかなかった。
 自分の頭をなでる兄の顔が、どこか悲しげな表情で自分を見ていたことを。



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