10話

  次の日の朝早く、クロはシロの病室を訪れた。

 ドアのすきまから全体を見回し、そっとなかへ入る。換気のために開かれた窓からは照り始めた太陽の暖かな風と光が差し込み、部屋全体を明るく照らしていた。
 どうやらシロの両親はいないようだ。ドアのすきまから全体を見回し、そっとなかへ入る。換気のために開かれた窓からは照り始めた太陽の暖かな風と光が差し込み、部屋全体を明るく照らしていた。 周りにひかれていたカーテンは一つにまとめられ、ベット全体がよく見える。
 とりつけられた機械類のまんなかで、シロはきのうと変わらず横たわっていた。朝焼けの太陽光線が、眠るシロのからだをいっそう白く際立たせていた。
「・・・」

 かちゃかちゃと金属質の音を立ててベッドへ近づく。きのう眠れなかったせいか、一歩一歩がひどく重い。
 はりめぐらされたコードに引っかからないよう注意しながら、どうにかシロの元へたどり着いた。そうしてベットに手をつけて、覆いかぶさるようにのぞきこむ。


「・・・シロ」
 厚い厚い前髪のすきまからのぞいたシロの顔は、昨日となんら変わらずそこにあった。
 ぴくりとも動かない目、自分の影を落としてもなお白い肌、わずかに上下する弱々しい呼吸。クロはそんなシロの様子をうつろな目でじっと見つめた。そうして手を伸ばし、ほほに触れる。血の気がないわりに感じられたぬくもりは、むしろ自分の体温よりもあたたかくて、思わず息をついた。
 クロが触れた肌は影に染まることなく、かわらず白いままだった。
 そのことにひどく安堵しながら、今度は横たえられた腕をにぎる。ガーゼに覆われた場所には触れないように、けれどこみあげる何かをおさえるように、そのぬくもりをぎゅっとにぎりしめた。
 そうして、クロは重い唇をゆっくりとひらいた。

こんなことになって、ごめん。」
 やっとのことで吐き出されたことばはとても小さかった。言った本人でさえ、ほとんど聞きとれないほどだ。けれど、最初のひとことが出たおかげで、後のことばが次々と口からこぼれていった。

「いっぱいひどいことを言って、傷つけてごめん」
「助けてくれてありがとう。優しくしてくれてありがとう。友だちでいてくれてありがとう。たまにウザく感じることもあったけど、全部、うれしかった」
「俺のせいで悪口いわれたり、おばさんとけんかしてもそばにいてくれて守ってくれてありがとう」

 ふだん言えなかった感謝の気持ち。傷つけたことへの罪悪感と申し訳なさ。そして、ようやく気づいた自分の本心。あふれる思いを、ひとつひとつ口に出していく。
 シロに触れているせいだろうか。いつも心の奥底にたまっていた醜い感情でさえもゆるやかにほどけていくのを感じた。いつもそばにあった黒い部屋も、ぬくもりにかすんで何も感じない。


『おまえはなんでも悪いほうに考えすぎなんだよ。翔太はそんなやつじゃねぇって、おまえがいちばんよく分かってるはずだ。ちゃんと思い出してやれよ』


 ふと、兄のことばが頭をよぎった。今シロが起きてたら、どんな反応をするだろうか。笑ってくれるだろうか、そんなことないと怒るだろうか。もう一度、そんなすがたを見ることができるだろうか。
『ああそれと、おまえはもうちょっと、自分のおもったこととか伝えたほうがいいかもな。相手の気持ちが分からなくて不安なのは、おまえだけじゃないとおもうぞ』


「・・・シロは、ここで死んじゃダメだ」

 兄のことばを最後まで思い出したとき、するりと、そんなことばが口から出てきた。そしてそれは、クロの中で確かな確信へと変わっていく。
「おまえは俺とは違うから。俺よりもずっときれいで、まぶしくて。俺なんかよりも、ずっとこの場所が似合うから」
「もう友だちでなくていいから、もう二度と会えなくてもいいから、」
「起きて」

「そして、生きて」
 壊れかけた心でことばを紡ぐ。カラカラに乾いた喉から、ただただ思いを、願いを吐き出す。ことばは部屋の中で反響し、壁の中へととけていった。 
 ねむっているシロにはきっと、届いてないかも知れない。けれどどうしても、今伝えたかった。
 今を逃したら、次にいつ伝えられるか分からないから。


「・・・ッ、う・・・ぇ」
 ことばを一つはき出すたびに、目の前がにじんでくる。乾いた喉がひどく熱い。
≪こんなところで泣いてる場合じゃない。いそがないと≫

 ゆっくりと、名残惜しそうにシロから手をはなす。目もとを強くぬぐいながら、日射しの差し込む窓へと向かった。自身の身長より少し低いそれは大きく開いており、木々の間を通ってきた風がクロの長い前髪を揺らしていく。飛び立つスズメの鳴き声と青く生い茂った緑が頭の中に焼き付いた。
はやる心臓を抑えながら窓際に松葉杖を立てかけた時、病室のドアがひらいた。


「あ・・・貴方、いつからここに・・・」
 振りかえれば、シロの母親が目を見開いてこちらを見ていた。

 どうやら花瓶の水を変えていたらしい。淡い白色の花が胸元で押しつぶされて苦しそうだ。
 「今さら、どういうつもりなの?」

 母親は強く唇をかみ、こちらをにらんでくる。昨日の今日の出来事だ。自分を恨んでも恨みきれないだろう。母親の刺すような視線がクロの隠れた目に突き刺さる。
 けれどもクロは、その視線を受けながらも静かに話し始めた。自分でも驚くほど優しい声だった。

「ごめんね、おばさん。シロはちゃんと俺が迎えに行くから。俺のかわりにシロを連れてくるから」
「え・・・?」
「だから、まってて」
「待ちなさい、いったい何の話を」

 とまどう母親の後ろから、兄弟たちの呼ぶ声が聞こえる。検診の前に抜け出してきたのがバレたんだろう。どんどんこの病室に近づいてくる。

《早く、いそがないと》
 母親がその声に気をとられている間に、クロは立てかけておいた松葉杖に足を引っ掛けた。そのまま窓わくに手をかけてとびうつる。少しギブスにつつまれた手足が痛んだが、なんとか窓にのぼれた。

《ああ、やっと、やっと、》
 蹴り飛ばした松葉杖の音で母親が振り向く。
 窓わくに座り直し、目を見開いたその顔に向かって。
 ふわりと、笑ってみせた。

「じゃあ、いってきます。   サヨウナラ  」

「―――――――ッッ!!」
 体重を後ろに預け、立ちすくむシロの母親を見ながら、クロは3階の病室から落ちていった。

 見上げれば、雲ひとつない空。朝焼けですこし赤みがかった空が、雨粒の落ちた目にうつりこむ。厚い前髪の隙間から差し込んだひかりが目の中で乱反射して、

きれいだなあ」


《おわるんだ、俺が。》

 じょじょに遠くなる空に見送られながら、クロは意識を手放した。




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