極彩色の感情論


2話

 ―――…自分の存在を認識した時から、クロは暗い部屋のなかにいた。
 無数のゴミが散らばり、むせかえるような臭気であふれた、真っ暗な部屋だった。窓には厚いカーテンが引かれており、自身の身長よりはるかに高い位置に設置されていたので、僅かな日差しも覗くことはできなかった。
 父親とは生まれた時に別れたらしく、母親とふたりで暮らしていた。だが、母親の母親らしい姿を見たことはない。
 クロはその部屋に閉じこめられていた。風呂もトイレにもいけず、食事は気が向いた時にスナック菓子や菓子パンが投げ込まれるだけだった。袋の開け方も分からない子どもが、まさに死に物狂いで噛みつきむさぼり食う様を、その女は汚いモノを見るような目で見ていた。
 恨みとか憎いとかそんな気持ちはなかった。
 ただ、次の瞬間にも自分がこの世からいなくなることだけを望んでいた。

 そんな生活がどれほど続いていたのかは分からない。

 小学校に通う前に、クロは施設に保護されることになった。そのときのことはよく覚えていない。散らばる菓子袋の中に埋もれていたクロはひどく弱っていて、部屋から助け出されたことにも気付いていなかった。
 
次に目を開けたのは病院のベットの中で。病室全体に広がる明るい日差しに、ひどく驚いたことを覚えている。
そして、自分を包むあたたかなひかりに怯えたことも。
 それからの生活には随分と苦労した。何せ生活習慣もしつけも全く身についていない、もちろん集団生活にも慣れていないクロにとって施設での生活は苦痛なものだった。

 そして、その生活に慣れてきてからも、クロはずっと『黒』を手放せなかった。
 服は黒いTシャツとズボンのみ、淀んだ色の瞳を隠すように、髪も伸ばしたままにしていた。自分から誰かにかかわろうとすることもなかったし、全身真っ黒に染まったクロのすがたを、クラスメイト達はいつも遠巻きにして見ていた。
 一人でいることについては今更なんとも思わない。むしろ自身を抑えきれず、ささいなことで暴れる事があったクロにとって、クラスメイトの対応はありがたいものだった。
 『黒』はクロの一部になっていた。いや、むしろクロそのものになっていたのだ。
 だから、黒を消す白に―――光に、ひどく怯えていた。

 
 いつか自分も、消されてしまうのではないかと。

 何度洗っても落ちないほど染み込んだ色は、あの部屋から出ても、ずっとクロの中に在り続けた。

 『シロ』に会ったのは、5年の夏休みが終わってすぐのことだった。

 「皆さんしずかに。今日は新しいお友達を紹介します。」

 先生の一言に騒ぎ出すクラスメイト達。その日は始業式で、まだ夏休み気分のクラスメイトにとっていいサプライズだった。騒ぐ子ども達を再度静かにし、先生が扉を開ける。
  入ってきた転校生は、いわゆるクラスの人気者タイプの男子だった。
 迷彩柄の膝までのショートパンツ、大柄の白いロゴTシャツに赤の袖のないパーカーを羽織っており、活発な印象を受ける。 大きな目に人なつっこそうな顔をしながら、壇上に上り正面を向く。
 先生が黒板に大きく名前を書きだした。

『白山翔太』


 それが転校生の名前らしい。
「白山翔太(しろやましょうた)です。よろしくお願いします!
 初めて会うクラスメイトに物怖じすることなくはきはきと話す転校生―――白山に、クラスの誰からともなく拍手を送った。きっと何日かすれば、彼は見た目通りクラスの人気者になるだろう。元々クラスメイトとの関わりのないクロは転校生にも興味はなく、机に突っ伏してあくびをガマンしていた。夏休み気分が抜けないのはクロも同じだった。
 白山の席はクロの隣だった。クロの席は窓際の一番後ろで、いわゆる特等席だ。(もっとも、席替えで運良く手に入れた場所ではなく、問題児として周りから離されていただけだが)
 
白山はその特等席の右側に座った。となりの席のクロに声をかけてきたが、聞こえないフリをして無視をする。
 首をかしげる白山に、慌てて別のクラスメイトが声をかけた。

≪そうだ、仲良くするなら他の奴とすればいい。≫

 
おそらくそのクラスメイトから自分の話が伝わるだろう。
 
声をかけられることももうないはずだ。

 下校時間を告げるチャイムが聞こえた。古びた黒いランドセルをかついで玄関に向かう。
「待って!
 
靴をはきかえているとき、急に声をかけられた。
「黒羽和希(くろばかずき)くん、だよね?

 白山だ。
 息を切らし、背中を丸めて肩で呼吸している。教室からここまで走ってきたようだ。

なに」
 一言返すと、白山は頭をあげて笑顔をこっちに向けた。
「よかった、まだ帰ってなくて。いっしょに帰ろ?
 
予想外の提案に一瞬耳を疑った。が、次の瞬間にはまゆを深くひそめていた。
は、なんで」
「ん〜いっしょに帰りたいから?」
「やだよ」
「え〜いいじゃん別に」
「い・や・だ。クラスの奴から聞いたんだろ?俺の話。」
「うん」
 白山は大きくうなずいた。

≪・・・じゃあなんで話しかけてきたんだこいつは≫
少なくとも進んで話しかけようと思う相手じゃないはずだ。
クロは大きくため息をつき、このうっとうしい男子をどう撒こうか考えていると

「、ッ!!!

 黒い髪の隙間から、わずかに光が差し込んだ。

 反射的に白山の手を払いのける。
「さわるなッ!!
 そのまま後ろに下がって距離を置き、目の前の転校生を力いっぱいにらみつける。白山は少しだけ驚いたように目を見開き、おおっ、と声を上げる。 おおっ、じゃねえよ。
「ごめんごめん。前髪長くて邪魔じゃないかなって思って。」
 そんなに嫌がるとは思わなかったけど、と付け足して白山は申し訳なさそうに笑うが、クロの緊張は解けない。

「でもオレ、前髪ないほうがいいと思うな。なんかもったいないよ、そんなきれいな目をしてるのに。」

 笑顔で放たれた言葉に、背筋がゾワッと鳥肌を立てる。
っうるせえ、いいからどっかいけよ。」
「あ、待って!オレまだ内履きはきかえてない」
「ついてくんなっ!!!
 
そう吐き捨てて、クロは校門に全速力で走りだした。
 走りながらひたいに手をあてる。シロの手が前髪に触れたとき、指の温かさがわずかにかすった。その感触を思い出しながら、シロに言われた言葉を頭の中で反響させる。
 ≪うそだうそだうそだ、アイツのいうことなんて≫
 ≪俺の目がきれい?、こんなににごった、暗い目が?≫
 ≪うそだうそだうそだ、だってアイツの目のほうが、よっぽど…―――≫
 クロは考えを振り切るように走る。

 厚いカーテンの隙間から差し込んだひかりは、あまりにも暖かくて、怖かった。

 それから5分後、走りつかれて座り込んでいるクロを、追いかけてきた白山が見つけることになる。


 その日以来、俺はなんだかんだで白山といっしょに行動をとるようになった。

 はじめは白山が一方的にまとわりつき逃げ回っていたのだが、それも面倒になりいっしょに行動するようになった。(もちろん白山が一方的に連れまわして)
 お互いを愛称『クロ』『シロ』と呼ぶようになったのは、白山の話からだった。
 なんでも、自分たちのことを『白黒コンビ』と呼んでうわさしているやつがいるらしい。(まわりにコンビ認定されていることに心底ムカついた)
 白山はその呼び方をとても気に入り、ふたりの間でも呼び合おうと言い出したのだ。
 もちろんクロは嫌がったが(犬みたいな名前で恥ずかしいし)、白山は気にせず、ろうかだろうが道ばただろうが大声で呼んでまわった(一回キレて顔面にランドセルを投げつけたこともあった)。そんなかけあいもやはり長くは続かず、どうせ恥をかくならお互い様だと、クロも白山のことを『シロ』と呼ぶようになった。
 
とくに何となく呼んでみたのだが、シロは目を大きく見開いて驚き、それからそれはそれは嬉しそうに笑った。
 暗闇の部屋に大きく射し込んだような、まぶしい笑顔だった。

 けれど、そんな関係も最近ではほとんどなくなっていた。
 
進級して以来お互いすれ違うようになり、ほとんど話さなくなった。
 これからもきっと、今度こそかかわることなく生きていくんだろう。
 そう信じていた。 
 なのに、


「ここどこだろ。ね、クロ?」


 こんな形で再会するとは、思ってもいなかった。

 

back top next