――――記憶をさかのぼること数日。
クロとシロがそれぞれ行動するようになってしばらくの頃。
まだ日は高いはずなのに、厚い雲に覆われた空は重々しく体にのしかかる。
そんな天気のなか、クロはいつものようについてくるシロを無視して下校していた。
「ねぇクロ、クロってば!!待ってよ!」
クロの後ろから、シロが走ってついてくる。茶色がかった短い髪が、彼の動きに合わせてぴょこぴょこはねた。
クロはそれを視界にいれようとせず、首にまとわりつく黒髪を風になびかせて早足で歩いた。施設の兄弟のおさがりの黒いランドセルは小柄な身体にはなお大きく、肩で弾んで痛い。
ああ、早く帰らないと降り出すかもしれないな。
長い前髪のすき間から空を見上げ、歩く速度を速めた。
「ねぇ、どうして無視するの?オレ、クロに何かした?」
歩くスピードをあげても、シロはなおついてくる。もともと運動も得意だし、クロのほうは苦手だったので難なくついてくる。 それが気に食わなくてまた少し速度を上げれば、シロは逃がさないと言うようにクロの手を掴む。
「―――っ!さわんなっていってるだろ!」
「あっ、ご、ごめん…。でも、」
最初の一件以来クロの体に触ろうとはしていなかったが、よほどあわてていたらしい。感じた体温の生ぬるさに鳥肌がたち、シロの腕をおもいきり振り払った。
どもるシロの姿にいらだち、目を伏せて大きくため息をつく。そして、改めてシロのほうに向き直った。長い前髪はこういうとき役に立つ。自分が今、どんな顔をしているか見せなくてすむから。
「なぁ、白山」
出会ったころのように名字で呼ぶと、シロは体をこわばらせた。薄い唇が何かいいたそうにわずかに開く。相手がことばを発する前に、クロは一気にまくし立てた。
言わなければ、伝えなければ。
そして、 離れなければ―――――……。
「俺は、お前がだいっきらいだ。友だちでもないのにムリヤリつれ回されたり、ヘンな名前で呼ばれたりするのも、もう嫌なんだよ。お前の遊び相手なら、ほかにもいっぱいいるだろ。」
目の前のコイツは、いったいどんな顔で自分をみているのだろうか。
お互いの顔を覆い隠す黒髪は、まるで分厚い壁のように、二人の間をふさいだ。
「たのむから、俺につきまとうな。迷惑なんだよ。」
そこまで言い切って、駆け出す。
はやくこの場所から逃げたくて、シロのことばを聞きたくなくて、全速力で走った。
けれど、もう少し周りよくを見るべきだったらしい。
「クロッ!!?」
シロのあせったような声と鳴り響くクラクションの音に、はっと我に返った。目の前が道路であることも、こちらに向かって走ってくる車にも気づかず、クロは道路にとびだしていた。引き返そうにも、足が地面に縫い付けられたかのように動かない。運転手の驚いた顔がスローモーションのように近づいてくる。
ぶつかると思った瞬間、かたくこわばった体に、温かいものが抱きついてきた。
キュイィキギキィギイィィィイィイイィイィィ―――――――――――――――ッッ!!!
けたたましいブレーキの音と、自身が吹き飛ぶ衝撃。それを感じる前に地面に何度も叩きつけられた。
全身が重く、動かせない。自身の体の上にのしかかるシロの体も同じらしい。 顔の横からわずかな息づかいが聞こえる。
騒ぎに気づいた人たちの叫ぶ声もじょじょに遠くなる。灰色の厚い雲がかすかににじむ。
薄くなる意識のなか、かすれた声で名前を呼んだ。自分でも聞き取れないほどのそれは、たしかにとどいたらしい。
耳元の息づかいが、安堵したようにゆるんで、小さくつぶやく。
良かった…―――― 。
おぼろげに開いたクロの目元にひとつ、前髪のすき間から雨粒がおちた。それをキッカケに見上げた空から本格的に降り始める。
その冷たさを感じる間もなく、クロは意識を手放した。
けっきょく、あの時シロがどんな顔をしていたのか、分からないままだった。
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