3話




 

 

「しに、がみ・・・?何の冗談だ」

 ほんの少し冷静になった脳内を総動員させ、裕也はあたりを見わたした。2本足で立つ猫を中心に、なんらかの機械や人の気配がないかを探す。非現実的な事実を否定することを、しかし整いすぎた自分の部屋が裏切った。物がほとんどない部屋は死角が少なく、機械や人が隠れるスペースなど皆無だった。リビングと同じ淡いクリーム色の壁紙ははがされたり何かを隠したりした形跡もなく、デスクには充電の切れたノートパソコンが一台とデジタル時計が乗っかっているだけで、何年も暮らした部屋には何の違和感ももたなかった。

 

≪くそ、なんなんだ一体・・・≫

 

もしかしたら猫のほうに何か仕掛けがあるのかもしれないが、目を見開いたまま笑みをうかべて2本足で立つ猫に触ろうとは到底思えない。

『冗談なんかじゃないよ、ほんとのこと。ちなみに機械とかぬいぐるみでもないよ。この子は正真正銘キミのペットの猫、グレイさ。・・・なんだったら触ってみる?』

 

 青年の考えを見透かすかのように自称死神の灰色猫は、一歩一歩ゆっくりと歩を進める。猫の後ろ足で軽やかに歩いてくる様子とはうらはらに、裕也の胸内は野生の肉食獣に狙われた獲物のような気分になった。

 

ともかく、どうにかしてこの状況からにげなければならない。どんな仕掛けなのかはわからないが、今はこいつの言うことに飲み込まれてはいけないだろう。

裕也は、猫の後ろにあるドアを盗み見た。猫が出入りしたにしてはきっちりと閉じられた木製のそれには、鍵がついていない。どうにかあそこにたどり着けば、部屋から出ることができるはずだ。

不確定の希望でも、たった一つあればずいぶんと心強い。裕也は重い腰を上げ、どうにか立ち上がると、態勢を低く構えた。

 

「んな話信じられるかよ・・・どけ!誰か部屋の外にいるんだろ」

 タイミングを見計らい、裕也はグレイにむけて全速力で駆けだした。不意を突かれたはずの灰色猫は、しかしあわてる様子もなくふわりと右側へかしいだ。そのすきを逃さず、裕也は空いた左側をすべり込むように通り抜ける。

拍子抜けするほどあっけなく、ドアの前に辿り着いた。

 

『おっと、あぶないなぁ』

「うるさい!悪趣味ないたずらしやがって、誰が仕掛けやがったんだ!」

裕也は自称死神のほうに顔を向けながらも、ドアノブを軽くひねる。

開いた!この時ほど外開きのドアにしておいてよかったと思った日はないだろう。

そのまま思いきりドアノブを引き、裕也は部屋のそとへと飛び出した。


『やれやれ、どうしたら信じてもらえるのかな…あ、そうだ』

 

開けたままのドアのすき間からのんびりとした口調の愛猫の声が聞こえたが、今はそんなものにかまってる余裕はない。

 

≪とにかく、逃げねぇと≫

 

 自室の前の廊下に人の気配がないのを確認し、ひどく荒い鼓動を打つ心臓を抑えながら、裕也は玄関へと足を急がせた。

 

 

「「裕也くん」」

 

 

 はずだった。

 

 

 

 ちょうど青年の耳元をかするくらいの場所で、胸を締め付けるように自分の名を呼ぶ、若い女性の声が聞こえた。それはまるで春風のようにわずかな心地よさと余韻を残しながら、裕也の隣をするりと通り過ぎ、部屋の中へと吸い込まれていった。

 

「…うそだろ」

 

 

 一瞬、本当に心臓が止まったかと思った。数秒ほどの、しかし永遠とも思わえるような長い時間のあと、心臓から痛いほどに熱くなるのを感じた。さきほどまでの得体のしれない恐怖よりもひどい、けれどどこか懐かしい感覚に包まれ指の一本も動かせなくなってしまった。

 

 

何度も会いたいとねがった、けれどもう2度と聞くことはできない、彼女の声が。

 

 死んだはずの恋人の声が、聞こえたのだから。

 

「咲!」

 

 裕也は居てもたってもいられず、部屋のなかへととびこんだ。

けれどそこにはやはり、2本足で笑いながら立つ灰色猫の姿しかなかった。

 グレイは口元をひどくゆがめた笑いを浮かべながら前足で心臓のあたりをおさえるしぐさをした。まるでほっと胸をなでおろすような、ひどく人間臭いしぐさだった。

 

『ああよかった。ようやくまともにこっちを見てくれたね』

「今のは…」

『キミがなかなか信じてくれないみたいだったから、ちょっと彼女・・・咲ちゃんの声を借りたんだよ。彼女はボクの担当だからね』

 

 そうして自称死神を名乗るグレイは、合皮製の赤い首輪についたちいさな鈴をちりちりと揺らしながら事故当時のことを語り始めた。

 

『死因は大型自動車にはねられた時の全身打撲と出血多量によるショック死。ま、ほぼ即死だったね。加害者の運転手もそのまま電柱にぶつかり全身を強く打って死亡。事故原因は運転手の飲酒運転。二人の面識は特になし。あとはそうだね・・・彼女はその時、仲なおりのためにケーキを買っていたんだよね。その日は二人の記念日で、『目の悪いキミのために〜』ってレアチーズにブルーベリー乗っけたやつをわざわざホールで。結局はねられたときにタイヤに轢かれてぐちゃぐちゃになっちゃったけど』

 

 愛猫のゆがんだ口元から紡がれる、まるで事故を目の前で始終見てきたかのような話しぶり。自分の知っている、いや、それ以上の証言を十年も生きていない飼い猫は語り続ける。

 裕也は彼女が事故にあったとき、仕事でそばにいなかった。いそいで駆け付けたのは病院で、彼女はすでにベットの上で冷たくなっていた。そんな状況下で、タイヤの下でつぶされたケーキのことなど誰も気にも留めなかったのだろう。だから、彼女がケーキを買っていたことも、それが自身のためであったことも、知らなかった。

『どうかな?これでボクのこと、すこしは信じてくれたかな?』

 

しかし愛猫はまるですべてを見てきたかのように、短い前足で器用に身振り手振りをくわえながら、俺の知らなかった部分までぺらぺらとしゃべっている。誰かの、人の企てたイタズラにしては少々手が凝りすぎているように思えた。

 

「…なんで、グレイのすがたをしてるんだ?」

 

 裕也はおそるおそる灰色猫に尋ねてみた。相手は予想以上に反応を返してきた。

 

『お、ちょっとは信じてくれたのかな?うれしいなあ。ほら、ボクみたいなのって実体がないからね。生身のキミと話すには依代(よりしろ)になる肉体が必要なんだよ。話がおわったらちゃんと体は返すから安心してね』

「別に信じたわけじゃない。そう納得して話を進めなけりゃ、おまえは帰ってくれそうにないみたいだからな」

 

 そう返すも、相手はどうとでもないように

『フフ、話が早くて助かるよ。…名乗った通り、ボクは死神。死者の魂を天国やら地獄やらに運ぶのがボクの仕事。そして、ボクはその仕事として、キミにとあるゲームへの参加を提案しにきたんだ』

 

 そういうと自称死神はフサフサのしっぽを左右に振りながら、ゲームについての説明をはじめた。

 

『さっきも思ってたよね。「もしやり直せるんなら」ってね。まさにこれなんだよ、ボクのもってきたゲームっていうのは。』




『ボクたち死神っていうのは、わかりやすく言うと死んだ人間の魂を運ぶこと。でもこの世での未練が強すぎる魂は運べないんだ。無理につれて行こうとすると魂そのものも壊れてしまうし、かといってそのままだと運べない魂があふれて生と死の循環が滞ってしまう。彼女・・・篠原咲ちゃんもその一人だった。』

「!」

『そんな魂のための救済策として考えられたのが、『ゲーム』。そして、そのゲームに挑戦できる権利があるのは、死者の心残りである人間のうちたったひとり・・・』

「つまり、俺が選ばれたってことだな」

 死神はにぃっと笑い、話を続ける。

 

『ルールは簡単。挑戦者は故人が死亡する前までさかのぼり、

≪一定期間故人の死亡を食い止めること≫

≪キミがあきらめない限り、ゲームは何度でもやり直すことができる≫。

≪期間内に故人が生きのこったら、キミの勝ち≫

咲ちゃんはキミのもとへ帰ってくる。ただし、

≪キミがもし彼女を助けることをあきらめたら、そこでゲーム終了≫

彼女は二度と、もとには戻らない』

「四十九日も過ぎてんだぞ。体なんてとっくに・・・」

『そんなの関係ないよ。要は時間を巻き戻してやり直すんだ。彼女の死がなかったことになるだけだよ』

 

「…対価はなんだ?タダなんて甘い話じゃないだろ」

 そういうと死神は口元に前足を当て、体をふるわせて笑った。

 

『あっはは!対価なんてないよ。言ったでしょ、運べない魂が増えるのはボクたちも困るって。キミの頑張りで運べる魂が増えるなら、多少運ぶまでの期間が長くなろうがボク達は願ったりかなったりなんだよ』

 

 

『ただね、覚悟がないなら、挑戦しないほうが身のためなんじゃないかな?一度死んだ人間の運命を変えるのはカンタンなことじゃない。仮に彼女が返ってきたとしても、数十年後には結局またしんでしまうんだよ。別れはまた必ずやってくる。いっそ彼女を忘れて、新しい人生を歩んだほうがいいのかもしれない』

 

 ふっと、死神の表情が変わる。先ほどまでの冗談じみた動作は消え、濁ったブルーアイはメタルフレームの中の俺の瞳をつらぬく。まるで陽炎のようにゆらゆらと揺れ動く心もとない男の心中を見通すように。裕也は息をのんだ。

 しかしそんな空気はまばたきの間に再び切り替わり、さきほどまでと同じ気取ったような口調で話し始めた。

 

『それで、どうするの?挑戦する?やめておく?』

「…」

 

 裕也は俯き、思案する。はいていた黒いジーパンにすりよられた時につけられたグレイの体毛がこびりついているのが見えた。

 正直、うさんくさいどころの話じゃない。飼っている猫が2本足で立ってしゃべり、しかも自分を死神だと言う。提案されたゲームというのも、なにか裏がありそうな気がしてならない。本当にいま、現実に起きていることなのかさえ分からないほどに、信じがたい話だ。

 

 けれど、先ほどの一瞬。

 

 

 

「「裕也くん」」

 

 

 

 

 耳元をかすめるように甘く響いた、彼女の声。そしてともに思い出される、彼女の動作、匂い、触れた時のあたたかさ。

 

 あの声を、ぬくもりを、もう一度感じることができるのなら。

 

「…」

 

 

裕也は一度、目の前の死神を追いやるように瞳を閉じる。

答えはもう、決まっていた。

 

 

 



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2012.9.30