4話



 

「…さむ」

 鳥肌が立つほどにつきささる肌寒さが遠い意識を無理やり揺り動かす。途端、薄暗いクリーム色の天井がレンズ越しにうつりこんできた。
 いまださめきらない意識のなか、裕也はのっそりと体を起こした。
 いつから眠っていたのだろう。あたたかな日差しの入り込んでいたはずの窓の外には、どこまでも暗い空の色と、チカチカと目に突き刺さるようなネオンの光に照らされる自分の顔が映っていた。


「さむい!」
 意識が完全に戻ってきた途端、肌に突き刺さる寒さに再度肩を震わせる。頭が妙に痛むのは、真冬並みの寒さの中薄着で寝ていたせいだろうか。裕也は腕をさすりながらクローゼットの中を覗き込む。積み上げられた衣装ケースがみえるだけで、どこに上着があるのかはわからない。

 裕也は軽く舌打ちをし、適当にひっかかっていた服を引っ張りだす。どうやら厚手のカーディガンのようだ。袖を通せばまだ少し寒いがだいぶマシにはなった。だが、いまだ身体中をめぐる、言いようのない薄気味悪さは消えない。

 裕也はけだるい体をどうにか動かし、電灯のスイッチのある部屋の入口へと向かわせた。
 もうすぐ梅雨だというのに、五月の夜はこんなにも寒かっただろうか。

(とにかく、電気を…)
 手探りでふれたプラスチックのフォルムを軽く押す。数回のまたたきのあと、薄暗い室内を暖色系の蛍光灯の光が明るく照らしだした。

「…ん?」
 途端、目の前にうつしだされた風景に妙な違和感を感じる。

 まず一つに、自身の右横に立てかけられたコルクボード。
 気持ち良さそうにグレイが眠っている写真、どこかの河川敷らしい場所を映した風景写真、・・・一枚しかなかったはずのそこには無数の写真が飾られている。代わりに、中央に貼り付けられていた彼女の写真だけがぽっかりと抜けていた。
 二つ目に、目の前に広がる室内のインテリア。
 かつて枯らして捨てたはずのミニチュアの観葉植物や、小型のぬいぐるみなど、趣味の合わない置物がいくつもおかれていた。それらはすべて、彼女からもらい、彼女の死とともに部屋から消えていった物たちだった。

 そして三つめ。

『やあ、目が覚めたみたいだね』


 二本足で立つ、濁ったブルーアイの灰色猫。
 まるでずっと前からこの場所にいたとでも言うように、自称死神は待ちくたびれた様子でにやりと笑った。



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『『さあ、ゲームをはじめよう!!』』

 痛む頭の中に、中性的な声が響く。
 それは裕也がここで目を覚ます前に聞いた、自称死神を名乗る愛猫のゲームの始まりを告げるコールだった。裕也はその高らかな宣言を聞いた後、そのまま意識を失い、気づいたら自分のベットの上で寝ていたのだ。自分はすでにゲームの世界とやらに入ってしまったのだろうか。
 ここまでの出来事を頭の中で整理し、あらためて愕然とした。
 ああ、やはりこれは。

「…夢じゃなかったのか」
『あたりまえじゃない。ゲームに参加承諾しといて、いまさら何いってるの?』

 裕也の一言に自称死神を名乗る灰色猫は、呆れたように息をつく。人を鼻で笑う、妙に人間くさいしぐさ。まさしく腹だたしいまでに、先ほどまで見ていた情景そのままだった。
 背中をすべる悪寒は、きっと部屋の寒さだけのせいだけではない。

「…もうゲームは始まっているのか?」

 裕也はグレイのすがたを一瞥し、部屋を見わたす。
 そんな二本足で立つ猫から視線をそらす男の様子など気にも留めず、灰色猫は右手(前足?)を挙げて説明した。

『うん。今は約半年前の十二十日…咲ちゃんが事故で死ぬ、ちょうど三日前。ここが、ゲームのスタート地点だよ』
 自称死神の話を聞きながら、裕也は窓の外の七色に輝くネオンを見つめた。なるほど、道理で違和感があるはずだ。部屋のインテリア、コルクボードに貼られた無数の写真…これらはすべて、咲が生きていたころの自分の部屋。
 彼女の色に染められた、自身の部屋そのものだった。
 チカチカとレンズに乱反射するネオンを見つめながら、裕也はようやく、自分は過去にきているのだと実感した。高速に目の奥にとびこんでくるネオンの光のように、頭の中で次々と情報が飛び交っているようだ。

「…スタート地点?」
『そう。…本来ならもうゲームは始まってるからボクは干渉できないんだけど、今回は初めてだからルールの説明をするね。いっちゃえばチュートリアルってやつかな』

 そういって自称死神は、ゆっくりと歩きながら語り続ける。見るのは二度目だからか、こちらへと歩みを進めるすがたに前ほど恐怖を感じなかった。言いようのない不気味さは変わらなかったけれども。

『まずは前に話したルールのおさらいをしようか。

ゲーム内容:一定期間故人を死なせないようにする。クリアできればプレイヤーの勝ち、一定期間内に故人の死亡が確定されればゲームオーバー。コンティニューかリタイヤを選択し、スタート地点から再度ゲームをスタートできる
また、ゲームプレイ中プレイヤ―がゲームを放棄(リタイヤ)した場合、そこでゲーム終了となり、プレイヤーの負けが確定する

 つまりキミが咲ちゃんを死なせてしまった場合、また十二日のこの時間からやり直しになるってことだよ。

期間:最初の故人死亡日から約三日。また、ゲームの準備期間として死亡日前日から三日、合計で一週間が与えられる

 咲ちゃんの場合、十二十三日に事故にあったから、十二日〜十二十七日までってことだね』
「事前に対策が立てられるのか・・・ずいぶんと生易しいルールだな」
『まあね、その分ゲームのほうも難しいってことだよ。』

「…最後に、ゲーム内で決してやってはいけないこと
《故人または関係者に、ゲームや故人の死について口外してはならない》

「…それだけなのか?」
『そうだねぇ、ほかは特に決まってないし規制もないよ。ただ、キミがゲームに勝利した場合この時間軸がそのまま現代に反映されるから、犯罪沙汰になるようなことはしないほうがいいかもね。せっかく彼女が返ってきたのに、自分は刑務所だなんていやでしょ?』
「…」
 
『さてと、もう時間切れかな?そろそろ失礼させてもらうよ』
 一通り説明を終えた自称死神は、ちらりとドアの向こうを一瞥した後、裕也のほうへ背を向けた。今までのなれなれしい態度とは裏腹に、どこか冷めた態度だった。

「ちょっと待て、失礼するってどこに」
 呼びとめれば、灰色猫は首だけこちらに向ける。濁ったブルーアイの瞳は暖色灯の下にあっても底が見えない。口元のゆがんだ笑みと同じく、ただ冷たい雰囲気を漂わせていた。

『言ったでしょ、ゲーム中は本来キミに干渉できないって。ボクはもとの時間軸で待ってるよ。ここから先は、キミ一人でゲームを続けるんだ。
―――
願わくば、十二十八日以降にまた会えるといいね』

 そう言って瞼を閉じた灰色猫はそのまま崩れるように床に突っ伏した。
「おい!…?」
 それから数秒ほどじっとした後、むっくりと本足で起き上がる。

「にゃあ」
「グレイ…なのか」
「にゃあ!」

 当たり前だろう、とでもいうように首をかしげながら、灰色猫はこちらを見上げてくる。その顔をのぞきこめば、あの薄気味悪い顔の面影はすでになく、透き通ったスカイブルーの瞳がこちらを見つめてきた。どうやら前に話していた通り、あの死神を名乗る何かはグレイに体を返したのだろう。

 しばらくみつめていると、急にグレイが耳をそばだてわずかに開いた扉の向こうに目を向ける。
「にゃあ!」
「あ、おい。待てって」
 何事かとそちらに目を向けた瞬間、愛猫はそのふわふわのしっぽをふりながら駆け足で部屋から飛び出した。裕也もあわてて後を追いかける。
 ほかに何か異常が残っていないか見ておきたかった。またふとした瞬間にアイツが出てくるのではないか。そんな可能性の低い恐怖をもなくしておきたいほどに、あの不気味な笑みが脳裏に焼き付いていた。

 けれどそれは部屋を飛び出した途端、どこか遠くに吹き飛んでしまった。



「ただいま。おそくなってごめんね」





 薄暗い廊下にやわらかい声が響く。
 それは、もう二度と聞くことができないはずの彼女の声だった。



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2012.11.10