6話

 

「おほ〜真っ白だ〜!」

 車を降りた途端、咲は一面の光景に歓声をあげた。
 昨日のあいだに降った雪はとけることなく降り積もり、この地域一帯を真っ白に染め上げた。しんと静まり返った寒さに日光を反射して輝く白銀の光景は、眼鏡のレンズによって増幅され瞳の奥を突くように入り込んでくる。
「いい大人が、あんまりはしゃぐなよ」
「だってだって、まさかホントに積もるなんて思ってなかったんだもん。ここ数年雪が降るなんてめったになかったし。おかげで電車もバスも止まっちゃうし」

 彼女の振る舞いに呆れて言えば、ストールを翻して咲が反論する。はしゃぎながら白銀の上にブーツで足跡を残す姿はまるで子どものようだ。ときどき自分より年上だということを忘れそうになる。
「・・・だからいっただろ。『雪が降る』って」
「?うん、裕也くんの言ってた通りだったよ。送ってくれてありがとね」
 裕也たちは、近所で一番でかい規模のショッピングモールにきていた。クリスマス商戦まっさかりである今の時期、この場所は予想以上の人であふれていた。昨日降った雪がなければさらに客足が増え、店にはいるどころか駐車場に止めるのもままならなかっただろう。
「とにかく、あんまりはしゃいでるとそのうち転ぶからやめろ」
「むっ、お姉さんはそんな子どもじゃないですよ〜、ッひぁ!?」
「!おい」
 目の前で踊るようにはしゃいでいた彼女の身体がぐらりと揺らいだ。俺は目を見開いてそばへ駆け寄る。受け止めた彼女のすぐ横を、黒い乗用車が通っていった。

「えへへ、ごめんごめん。ありがとね〜」
 一瞬、血の気が引いた。 のんきな彼女の様子に頭の沸点が一気に高まる。
「・・・、ッ」

 腕の中の彼女を引き離し、怒鳴りつけた。
「だから気をつけろっていっただろう!?轢かれたらどうするんだ!!」
「う・・・ごめん、なさい」
「っ、もういい」
 裕也は深く息を吐き、目を強くつぶった。

落ち着け。咲は何も知らない。咲にあたってもどうしようもないだろ
俺は咲を、悲しませるつもりはないんだ

「裕也くん」
 黙っていると、腕の中で咲がこちらの様子をうかがうように見上げてくる。不安げに揺らめく瞳をみつめて、裕也はなおさら自分の行動を悔いた。
「もういいから。ほら、行くぞ」
「・・・うん、ごめんね」
「わかってる。俺も怒鳴って悪かった」
 裕也は深く息を吸い直し、左手を差し出す。こちらの様子をうかがいながら、
おそるおそる彼女も手を重ねてきた。微妙な空気が流れる中、軽くつもった雪にどろをはねて、二人は建物の中に入っていく。

 左手の手袋ごしに伝わるぬくもり。雪の上に残る二人分の足跡。
 彼女が死ぬ予定だった日から、ようやく一日。
 愛猫の毛色よりも暗い空を眺めながら、裕也はつないだ左手を強く握りしめた。


「それで、その子はどこにいるんだ?」
「ん〜ちょっと待ってね。一応学校から直接くるって言ってたから、もうついてる頃だと思うんだけど・・・」
 そういいながら彼女は電話を掛ける。ほどかれた手を少し不安に感じながらも、彼女の様子を見つめながらすぐ近くの壁に寄り掛かった。人ごみは苦手だ。いろいろな人の匂いや空気が混じり合ってどうにも息苦しい。
 建物の中にはいってからも、人の波は絶えることはなく、さらにごった返していた。入り口の中央から続く2階への長階段も人で埋め尽くされており、背の上を並ぶ案内板がなければどこに何の店があるかわからないくらいだ。床に敷詰められた光沢のある白タイルも、人ごみのせいでほとんど見えない。先ほどから店員が床が濡れて危険なので雪を落としてから入るよう呼びかけているが、クリスマス商戦と少し早い年の瀬の準備に急ぐ客たちには、少しも届いていないようだ。みな自分の用事を早く済ませようと早歩きで店内へと進んでいく。
 そうこうしているうちに、咲がこちらへ戻ってきた。
「もう着いてるみたい。2階の広場で待ってるって」
「よし、じゃあ行くか」
「うん」

 ふたたび彼女の手を握り、裕也たちは中央階段のところへ急いだ。
 見た目の割に急な作りの階段は、今日の雪のせいで少し濡れている。
「しほちゃん大丈夫かな〜年の割にちっちゃいからつぶれちゃわないか心配だよ」
「年の割に小さいのはお前も同じだろ。それより、足元滑りやすいんだから気をつけ」
「あっ見つけた。もしかしてあの子かも!」
「おいっ咲!」
人ごみに押され咲と手が離れていく。あわてて声をかけるも、一直線に前を向いた彼女はそのまま駆け出していった。小柄な体はこういうとき役に立つらしい。するすると人ごみをかき分け、あっという間に見えなくなった。
「おい待てって、咲」
くそっ、転んで頭でも打ったらどうする気だ。いやそれより、転んだ拍子にそのまま踏みつけられたりしたら・・・
 一回難を逃れた彼女は、本当にいつ死んでしまうのか予想がつかない。いやな考えばかりが脳裏をよぎった。
 その時、
「ぁ、」
自身の右足の重心が滑って崩れ、そのまま倒れそうになった。咲のほうばかりに気がいっていたせいで、自分への注意をおろそかにしていたのだ。
「しまっ・・・!」

 迫りくる階段。おもわず目をつぶったその時、

 誰かが、裕也の左腕をつかんだ。
「っと。お兄さん危なかったね、大丈夫?」
 目の前の青年はややたれ目の瞳を細くしながら、こちらに笑いかけてきた。どこかで見覚えのある顔だった。
「あ、すいません。って、お前」
「あれ?先輩じゃないっすか!お久しぶりっすね」
「やっぱり昌紀か。ひさしぶりだな」
 そういって笑いかければ、目の前の青年は嬉しそうに笑い声をもらした。

 若者らしい格好ながら、落ち着いた色合いで統一された服装。首に軽く巻いて流したストール状のマフラー。ややたれ気味の黒い瞳に筋の通った鼻立ち。そして男ながらさらさらで指通りのよさそうな黒髪が印象的な優男。それが小山内昌紀(おさないまさき)という男だった。
大学時代の後輩だったコイツはとにかくよくもてる。顔立ちの良さに加え人付き合いとセンスの良さ、それとフェミニストなところがいいと当時の彼女がいっていたが、俺にはただの女好きとしか思えない。(ちなみにその当時だけでマサキの彼女の肩書きを持つ女は5人いた)
とにかく来るもの拒まず去る者追わずなこいつはしょっちゅうつれている女が違っていたように思う。
そんな彼も今年で大学を卒業し、地元の高校で教師をしているらしい。

「いや〜しかし偶然すね。こんなとこで会うなんて」
「ああ、そうだな・・・本当に」
「な〜んかそわそわしてますね。どうかしたんすか?」
「いや、何でもない」
「?」
 首をかしげる青年に、裕也は軽く笑いながら返答する。本当にこんなところで会うとは思っていなかったのでどうにもとまどってしまう。
 なにせ、最後に彼と会ったのは。

「あ、いたいた。お〜い、裕也く〜ん!」
 のんきな声を上げて、咲が手を振りながら戻ってきた。左手には小柄なセーラー服の少女の姿。肩まで伸びた髪を二つに分け、分厚い丸ぶちメガネをかけた顔が赤く蒸気しながら必死に咲についてきている。髪の毛が直毛であることを除けば、咲にとてもよく似た顔をしていた。
まぎれもなくしほちゃんだった。葬式の時の憂い顔はどこにもなく、初対面の人間に会う緊張からか少し所在なさげにうつむいている。

―――・・・よかった、ちゃんと会わせてあげられて
 裕也は安堵の笑みをそのまま少女に向けて、改めて名前を名乗った。

「初めまして、君がしほちゃんだよな。俺は藤谷裕也。せっかく二人で約束してたのに、俺までついてきて悪かったな」
「い、いえ・・・こちらこそはじめまして。田村詩帆(たむらしほ)です。いつも咲ちゃんがお世話になってます」
 なるべく柔らかな口調を心掛けて話せば、少し緊張がとけたのか、目の前の少女も口元をゆるめた。いつも元気に笑う咲の表情より、すこしおっとりとした柔らかな笑みだった。
「まったくだ、大変だろ?こんな奴が身内だと」
「何よ〜そんなことないでしょ!」
 顔を真っ赤にさせて反論する彼女に、裕也は冷ややかな目で問いかけた。
「じゃあ聞くが咲、お前はどうして先に行ったんだ?俺は待てといったはずなんだけど」
「えっ、え〜と」
「今は混雑してるんだから、迷子になったらどうするんだ!」
「わ、私いくらなんでもそこまで子どもじゃないよ!ケータイだって持ってるし」
「いーやなるな、現になりかけてただろ」
「あ、あの、人がいっぱいいるので・・・」
 ケンカに発展しそうになる大人二人を、おどおどしながら必死に止める少女
。見た目は良く似ているが、中身は正反対らしい。ほんの少しでもいいからこのけなげさというかおとなしさが咲にあれば、自分の気苦労も少しは減るだろうに。

「ところで裕也くん。さっき誰かと話してたみたいだったけど、誰だったの?」
 咲の問いかけに、俺は後輩の存在を思い出した。
「ああそうだった!悪いまさ・・・昌紀?どうかしたのか」
「・・・」
 あわてて青年のほうを向き直れば、そこには後輩が目を見開いて固まっている。口をぽかん、とあけている姿がどこか滑稽に見えた。

「昌紀って・・・もしかして、昌紀くん!?うっそ、久しぶり〜!大学の文化祭以来じゃない?・・・あれ、どうしたの?」
「・・・」
 咲に話しかけられても直立不動で動かない。その視線の先は、なぜかセーラー服の少女のほうへ向けられている。
 視線に気づいた詩帆も、昌紀のほうを見返した。おどおどと見つめ返していた瞳が、突然何かに気づいたように見開かれた。
「うそ、もしかして・・・マサにい?」
「・・・しほちゃん?」

 互いに確認するように名前を呼び合う。そのあと二人は震える足取りで距離を縮めていき、それがほとんどなくなった後、急にがばりと抱き合った。
「しほちゃん!!」
「マサにい!!」
「は?」
「え?」
 今度は自分たちがおいて行かれる番だった。目の前の二人は互いを確認し合ったあと、両手をぶんぶんと振ってはしゃぎ始めた。一応ここは人のごった返している階段の踊り場なのだが、まったく気にする様子もない。

「え、ええ!?ほんとに?ほんとにマサにい?いつのまにコッチに戻ってきたの!?」
「そっちこそ!うわ〜前会ったときはこれくらいだったのに、ほんとに大きくなったね。おにいさんうれしいよ!もう、こんなに可愛くなっちゃって〜お兄さんビックリしちゃったじゃない」
「もうマサにいったら!相変わらずなんだから」
「ホントのことだって〜」

 周囲を飛び交う花が見えそうなほどはしゃぎまくる二人に、ただ茫然とすることしかできない。この場のノリについていけないのは、自分たち二人との年の差のせいでは決してないだろう。
 少なくともわかったことは二つ。ひとつはこの二人が知り合いであること。
 そうしてもう一つ。

「まちがいなく、咲のいとこだな」

 予想をはるかに超える喜び様に、裕也は素直に喜べない自分を感じていた。


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2013,03,05