7話


 

「いや〜すみません、つい大はしゃぎしちゃって」
「ご、ごめんなさい。うるさくしてしまって」
「いや、いいよ。ちょっと驚いただけだから・・・」

 裕也は乾いた笑みを浮かべながらコーヒーをすする。挽き立てのコーヒーの香りとスッキリとした苦みが一本芯を通すように、遠のく意識をはっきりさせた。


『とりあえず場所を変えよっか。いろいろ積もる話もあるだろうし』
 めずらしく空気を読んだ咲の一言でようやくその場はおさまった。我に返った二人は手をつなぎあいながら周りに視線をめぐらせ、そのままどちらからともなくぱっと手を離した。ようやく状況を理解したらしい。
 それから、併設されている有名コーヒーショップの椅子に座るまで、片方は耳だけ、片方は耳まで真っ赤にして裕也たちの後ろに隠れるようについてきた。


「それにしても、まさかしほちゃんと昌紀くんが幼馴染だったなんて!世間って狭いもんなんだね〜」
 となりに座る咲がしみじみと言いながらカフェオレをすする。両手でカップを支えて飲みながら目を細めるのは、からかいか呆れの表れか。その視線をむけられた向かいの二人は、ものすごく居心地が悪そうだ。
「幼馴染って言っても、小学生くらいまでのなんですけどね。えっと、俺としほちゃんは家がとなり同士だったんですよ。・・・それが、俺が中学にあがるころ、家の事情で転校することになりまして。それ以来全然会うことはなかったんですが」
「マサにいは私がちっちゃいころからよく一緒に遊んでくれてたんです。まさかこんなところで会えるなんて・・・」
「ホントに」
 そういって笑いあう二人。妙に生ぬるいというか、なんともこそばゆい空気が流れる。隣に座る咲は特に気にする様子もなく、ニコニコと嬉しそうに二人の様子を眺めていた。自分のほうはといえば、ブラックコーヒーでさえも甘く感じられる雰囲気に口から砂糖が吐けそうなほどだ。

 裕也はそっと、昌紀の顔を盗み見る。整った甘い顔立ちはでれっでれにゆるみきり、ただでさえ垂れている目元はさらに垂れ下がっていた。昔から女たらしで、ひょうひょうとして掴みどころのない存在だったが、こんな表情は初めて見た。まるで、かわいい妹を溺愛する兄のようで、彼にとって詩帆の存在がどれほど大きいかが分かる。

「それに、まさかしほちゃんが咲先輩のいとこだったなんてねぇ。似てると思ってたけど、先輩の性格が超特攻タイプだったたから気づかなかったっすよ」
「あら、いい度胸ね昌紀くん。そんなに先輩の愛の鉄拳を受けたいのね?」
「冗談!冗談ですって」
「咲ちゃん、ここお店の中だから。ストップ!」
「まったく・・・」
 裕也はぎゃいぎゃいと騒ぎ出す三人を遠巻きに眺める。わずかに曇った眼鏡ごしから見る彼らの輪郭はあいまいで、まるで夢をみているように思えた。
 

『ねえ、やりなおしたい?』

 目を閉じれば、脳内に響き渡る死神の声。その声に誘われるがままにゲームに参加したのだ。もちろん、後悔はない。咲とまた会えた。やり直し、ともに生きるチャンスを得た。
けれど言いようのない不安感は以前として裕也の身に付きまとう。

本当にこれでいいのか?

 これから先に起こる出来事は、裕也に予測することはできない。本来なら昨日・・・1213日に咲は死亡しており、このような形で詩帆たちと出会うこともなかったのだ。裕也自身も彼女の死を受けとめきれず、ただ呆然としていただけのように思う。
 最初の死は、うまく回避できた。
 だがこれからは、本当にどうなってしまうか検討もつかない。一度死んでしまった彼女の運命はそう簡単には変わらないのだと、あの死神は言った。けれどそれが次にいつ、どのタイミングで襲ってくるのかは、咲の生きている1214を初めて経験する裕也には予測できないのだ。だからこそ、彼女の行動一つ一つにおびえながらそばにいることしかできない。
 また、自分のやっていることは大事に言えば歴史の改ざんだ。咲はもちろん、咲を引いたトラックの運転手も死ななかったように、またどこかで誰かの運命が変わってしまうかもしれないのだ。
 もしもそれが俺たちと同じように生死にかかわるものであったなら。
 考えれば考えるほど、不安が甘ったるい空気よりも重く裕也の身体へとのしかかる。
 けれど。

「そういえば一時期、『となりのお兄ちゃんに会えなくなってさみしいよ〜』ってもらったぬいぐるみを抱えてずっと泣いて大変だった時もあったなあ。それって昌紀くんのこと?」
「っ、うぇ!?な、咲ちゃん!?」
「急な引越しだったし、シホちゃんもまだちっちゃかったもんねえ。ところで咲先輩、あとでその時のエピソードをひとつ」
「ふふ、情報料は高いよ〜」
「もうふたりとも!」

 にやにやと笑いながらからかう咲。それに便乗する昌紀。顔を真っ赤にして怒る詩帆―――
 元の世界では決して見られなかった組み合わせ。少しだけちがう道を選んだだけで、こんな出会いもあるとは、人生とはなんと不思議なものだろう。
 そんな当たり前で、決してありえなかった光景をただ眺める。

・・・守りたい

 ただ、守りたいと思った。
 彼女と、彼女たちとともに笑いあう日々を。



「そういや先輩方、今日は買い物に来てんですよね?もう買い物は済んだんですか?」
 昌紀がカップに残っていたカフェモカを飲み干しながら言った。長い指が口の端についたコーヒーをぬぐう。
「いや、俺はただの付き添いだ。メインはこっちの二人。今日は雪が降ってたから俺が送ってやっただけだ」
「そうそう!今日はしほちゃんとお買い物の約束してたの。ちょうど合流した時に昌紀くんと会ったから、これからってとこかな」
「あら、そうだったんすね。いや〜すいませんお邪魔しちゃって」
 答えれば、咲が言葉を続けてきた。昌紀が申し訳なさそうに頭をかく。
「そんなことないよ〜あっそうだ!じゃあこれからみんなで回らない?こんなとこで再会できたのも何かの縁ってことで」
「いや、先に約束してたのはそっちのほうですし」
「え〜いいじゃない。ねっ、詩帆ちゃんもそう思うでしょ?」
「えっ!?えっと、それは・・・」
 急にふられた詩帆は胸元に手を寄せ、口をもごもごと動かした。眼鏡の奥からのぞく大きな瞳が顔色を窺うように裕也と昌紀との間を行き来している。

「その辺にしとけよ。人にお前の意見を押し付けんな」
 裕也はため息交じりにたしなめる。まったく、咲にも困ったものだ。これで本人に悪気がないのだからなおさらタチが悪い。
 咲は頬を膨らませて、こちらをにらんでくる。
「べつに〜、押し付けてるわけじゃないもん。聞いてるだけだもん」
「お前のソレは押しつけと変わらねえよ。・・・おい昌紀、お前この後なんか用あるか?」
「え?あ、いや、ただブラブラしてただけなんで特に」
「そうか、じゃあちょっと俺に付き合え」
 外していた眼鏡をかけ直し、席を立つ。昌紀も不思議そうな顔をしながらもうなずいて席を立ち、裕也のとなりによってきた。自身より高い目線で見下ろしてくるのが少し癪にさわるが今さらだ。
「ちょっと俺も買い物してくるから、またあとで合流しよう。咲たちはどのあたりにいるんだ?」
「んとね〜、雑貨とか見たいから五階にいるよ」
 五階・・・ちょうど今裕也たちがコーヒーを飲んでいる階だ。
 
「わかった。終わったらすぐ行くからその辺ぶらぶら見ててくれ。勝手にほかの階にいって迷子になるなよ」
「む〜また子ども扱いして〜。大丈夫だよ!」
「どうだかな。・・・ま、ゆっくり楽しんでこいよ」
 そういいながら裕也は口元をゆるめ、咲の頭をぽんぽんとなでる。いぶかしむ咲をよそに伝票を持ってレジへと向かう。昌紀もストールをまき直して、それじゃあまたあとでね〜、と手をふって出ていった。

「・・・もう」



「それで、どこへ行くんすか?」
「ああ、えっと」
 コーヒーショップをでてから昌紀にたずねられ、思わず目が泳いだ。しまった、何も考えないまま連れてきてしまった。
 今回の目的はあくまでも咲と詩帆の約束をかなえることだ。部外者である自分たちは早々に退散し、2人きりで買い物を満喫してもらおうと思ったのだ。
 自分は邪魔にならないよう陰から見守る予定でいたが、ゲームのことなど全く知らない昌紀にとって裕也の行動は理解できないものだろう。ハハ、と乾いた笑みを浮かべながら頭をかく。どうしようか言い訳が思いつかない。
 しかし、幸か不幸か、昌紀は裕也の様子に勝手に勘違いをし始めた。
「しほちゃんたちがいる前でできない買い物・・・俺を付き添わせての先輩の用事・・・ははーん」
「な、なんだよ」
 裕也の思考をよそに、昌紀は何かを納得したように何度もうなずく。端正な顔立ちが面白おかしいというように笑いながら裕也を見下ろしてきた。自分よりも幾分高い身長も相まってなおさら腹立たしい。睨み返してみてもにやにやとした笑みはとまらない。
「いやいやいや、言わずともわかってますって!まかせてくださいよ、そういうの得意分野っすからね。俺が二人にぴったりの選んであげますから」
「は?」
「そんじゃとりあえず下行きますか。一階に俺の行きつけの店があるんすよ」
「はあ!?」
 自分の中で勝手に納得した昌紀は俺の手をつかみ歩き出す。とっさのことで反応できなかった裕也はそのまま引きずられるように後についていく。必死に振りほどこうとしても、身長も体格差もあるこの男の手は振りほどけなかった。
「ちょっ、離せって!咲たちがまだこの階にいるだろ」
「さっき自分で別行動だって言ったじゃないですか。すぐ戻ってくれば大丈夫ですって。俺を連れ出したの、2人の邪魔をさせないためってのもあるんでしょ?」
「そ、それはそうだけど・・・」
 図星を突かれ、目線を下に向けた。丹念に磨かれた白タイルに自分のちっぽけな影が映りこむ。裕也は歯を苦々しく噛みしめた。ああもう、まだるっこしい。本当のことをいえたらどんなにいいだろう。咲が死ぬかもしれないからそばについていたいと。ゲームルールを破ることになるし、第一普通に話しても信じてもらえないだろうが。
 何も知らない昌紀は歩みを止めないまま、にかっと笑う。少年じみた愛嬌のある笑顔は、残酷にも裕也の葛藤を一刀両断した。
「ならいいじゃないっすか、心配性だなあ。とにかくささっと決めてきちゃいましょうよ」
「いや、けど」
「咲先輩、きっと喜んでくれますって」

 昌紀はつかんでいた腕を離し、裕也の背中を押した。裕也は未練がましく後ろを振り向きながらも、昌紀についていくことにした。
 何をどう勘違いしてるのかわからないが、とりあえず言い訳を考えなくてもよくなったらしい。どんな用事なのかはわからないが、ここは昌紀にしたがっておいたほうがよさそうだ。下手に反論して墓穴を掘りかねない。
 それにしても。昌紀の顔をちらりと盗み見る。
「いや〜そうですかそうですか。先輩たちもとうとう・・・もういい年ですもんねえ、ウンウン」
 茶色いダッフルコートの腕を組みながら、何か一人で満足げにうなずいている。感慨深げな表情の意味はいまだに納得できない。
けれど。

『咲先輩、きっと喜んでくれますって』

 後輩の屈託のない笑み。その表情は、言葉は、どこまでも純粋に裕也たちを祝福していた。
 先の見えない未来、一度大切なものを失った悲しみと、また失うのではないかという不安感。そんなものが付きまとう中で向けられた、二人の関係を祝福することば。それは裕也にとってなによりも心強く思えた。たとえそれが、発した本人が意図しないものだったとしても。
 裕也たちがついたとき、ちょうどエレベーターが到着した。中から一斉に人が出ていき、最後に乗り込む。
 行き先の階と閉ボタンを押す。無機質なアナウンスが鳴り響いたあと、ドアがゆっくりと閉まり始めた。
 そのドアの隙間からちょうどコーヒーショップから出てきた咲たちが見えた。楽しそうにはしゃぐ咲に手をひかれながら、セーラー服姿の少女も声を上げて笑っていた。その様子をほほえましく思っているうちに、ドアが二人の姿を遮った。

 隔たれたエレベーターは、裕也たちをのせて下の階へと向かう。
 ゆっくり、ゆっくりと、時間をかけて。
 二人と二人の距離をはなしていく。






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2013,03,10