「先輩、後を追うとかバカなこと考えないでくださいね」
新年を迎えて半年が過ぎたころ、喪服姿の昌也がそう呟いた。
祐也たちの背後には四十九日前と同じく飾られた咲の遺影。その頬に手を伸ばせばぬくもりを感じられそうなほど、生き生きとした生前の彼女がいた。周りに飾られた豪奢な花束や無数のロウソクの群れが、早すぎる彼女の死を悼んでいる。
「・・・・・・」
裕也は無言で後輩の後ろをついていった。昌紀も振り向かず、ホールの外へと出て行く。ドアを開けると、冷たい外気が祐也たちを襲った。
「あなたは生きています。どれだけの絶望を背負っても、死んでないのなら前をむいて生きなければならない・・・絶対に、生きなきゃダメなんすよ」
建物の外では、雲の切れ間からまばゆい日差しが差し込んでいた。先月から積もり続けた雪がゆっくりと解けはじめ、道路はすでにぐちゃぐちゃになっている。
そんな泥道の中でも、昌紀は躊躇することなく足をふみいれた。当然ながら、溶けかけた雪は思い切りはね、黒いズボンに泥の斑点をえがく。それでも昌紀は前を向いて歩き続けた。
「それがきっと、おいていった人たちの最後の願いなんすよ。少なくとも、咲先輩はそうです。そうに決まってます」
祐也は入り口で立ち止まり、堂々と歩き続ける後輩とドロドロになった道を見比べながら、結局足を踏み出した。
じょじょに湿ってくる足取りは重い。けれど祐也は、ただひたすらに後輩の背中を追い続けた。
あの時なぜ昌紀があんなことを言ったのか。
あの時、昌紀がどんな表情をしていたのか。
結局、祐也には分からないままだったけれど。
「だから先輩、お願いだから、貴方まで死なないで下さいよ」
その言葉が、向こうに行きかけた祐也の手を引いた。
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はっと目を見開いたとき、見慣れた天井が視界に飛び込んできた。
「・・・あ、っ!!」
荒い息を立て、飛び跳ねるように身体を起こす。
いつの間に眠っていたのろう。祐也は自分のベットの上に横たわっていた。祐也の動きに合わせて、ベットがぎしりと不快な音を立てる。薄手のVネックに冷たい汗が染み込んでいた。
「やあ、おかえり。ずいぶんと早かったねえ」
部屋の中央には、二本足で立つ灰色猫が・・・死神がいた。のんびりとした口調で祐也に声をかける。
祐也にとって三日ぶりに見た死神の姿は相変わらず異様だった。だが今の祐也にとって、驚くひまもなかった。
祐也がいたのは、もうとっくに見慣れたはずの自分の部屋だった。ただ、窓の外はすでに暗く、電灯もつけられていない室内は、まるで月の出ない夜道のようだった。ネオンの光が指す室内は薄暗く、しかしわずかな光に反射する家具が、目を覚ます前の祐也が知る部屋とは別物であることを物語っている。
メタリックで無機質なラック。分厚い本がすき間なく詰められた本棚。時計とカップ、そしてパソコンだけが置かれた机。自分の記憶が正しければ、おそらくパソコンの電源は入らないだろう。
なにより祐也の違和感を決定づけたのは、入口に付けられたコルクボードだった。たくさんの写真が飾られていたはずだが、今はたったの一枚しかない。中央に飾られているのは、笑顔で微笑む咲。
そう、咲。咲。
ここは間違いなく咲が死んだ世界の、自分の部屋だった。
《―――――――――――――――――――――ッッ!!!!!》
「う、げぇっ・・・ぐぅ、」
胃の中から何かがせり上がってきて、口元を抑える。酸っぱい胃液が口の中に広がるのを感じながら、どうにか吐き気を抑えようと背を丸めてうずくまった。身体全体がガクガクと痙攣しているのがわかる。
「あらら、大丈夫?ずいぶんな様子だね。まあ、あれを見たならしょうがないか。今回は目の前で死んじゃったもの。ずいぶんとショックだったろうにねえ」
死神はベットの上に上がってゆっくりと歩み寄り、祐也の耳元でささやいた。マットレスに顔をうずめているので表情はわからないが、あの憎たらしい死神の口元はずいぶん歪んでいるのだろう。たとえ顔は見えなくとも、慰めているようで傷口をえぐる物言いで容易に想像は出来た。
アハハハハ、狂気に満ちた死神の笑い声が部屋中に反響する。
「かわいそうに。よかれと思って咲ちゃんと従妹を二人きりにしてあげたのに、結局は従妹を助けようとして二人とも死んじゃった。なあに、落ち込むことはないよ。この世界での彼女はまだ生きてるからね。『ゲーム』が成立してない以上、咲ちゃんが助からない限り、この時間軸は変わらないんだ。だからまだ、咲ちゃんだけが死んだことになってるよ。くすくす、よかったねえ」
声変わりのしていない少年のような声で、死神は話し続けた。祐也はそれを黙って聞いていることしかできない。
《咲が死ぬことは知っていた。助けられるはずだった。なのに、どうして俺は、詩帆ちゃんも昌紀も巻き込んで…!!》
祐也は悔しさのあまり、シーツを強く握り締めた。
交通事故で死んだときは仕事でそばにはおらず、彼女の死に際を見ていなかった。ぼろぼろになった身体も病院側の配慮できれいに処置され、白い布の下に覆われていた。だから、その布の下があんなにも悲惨なものだったとはわからなかった。目の奥がチカチカする。せりあがった胃酸のせいで喉がただれるように熱い。不規則に脈打つ心臓の鼓動がうるさくてふるえのとまらない手が胸元をかきむしる。
覚悟が足りなかった。まだ一回目、たった一回目の失敗でこのざまだ。しかも、無関係である彼女の従妹も巻き込み死なせてしまった。吐き気により流れる涙は、決してそれだけのせいではないだろう。
祐也がうずくまっている間も、灰色猫はくるくると回りながら話し続ける。ポスポスと軽い足取りが、頭の方を回って右耳から左耳へ行ったり来たりしていた。
「それで、どうする?彼女たちが目の前で死んで随分とつらかっただろう。もう諦めてもいいんだよ?キミは頑張った、もう十分さ」
死の匂いをまとった死神が、耳元で甘い誘惑をささやく。それはどこまでも甘美でやさしく、身も心も疲弊しきった祐也には極上の誘いにも思えた。
「・・・・・・」
「ん〜?どうしたんだい?」
ようやく収まってきた吐き気に口元をはなし、ゆっくりと起き上がる。目の前の死神はしっぽをふりふりと振りながらこちらの様子をじっと見つめていた。ひどくにごった瞳が、まるで心の内を見通すかのように覗き込もうとしてくる。
一瞬の沈黙のあと、祐也は口元を釣り上げて、せせり笑った。
「・・・はっ、」
「?」
「誰が、諦めるかよ」
鼻で笑い飛ばし、絞りだしたから元気。無理やり口元に笑みを作れば、それは目の前の死神と同じ不気味な笑みに見えるだろう。
祐也の回答は、ただ一つだった。
「もう一回、だ」
祐也はそう、はっきりと宣言した。死神のにごった瞳が大きく見開かれる。
《そうだ、俺はここで諦めるわけにはいかない。俺がこのゲームに参加してるのは、咲が望んだことじゃないか》
祐也は邪念をかき消すように、瞳を閉じる。“ゲーム”の中で思い出した咲の声、ぬくもり、そして、二人の幸せを願ってくれる存在。もう一度彼女を失うことにはなったが、“ゲーム”での記憶は決して無駄ではなかった。
「「祐也くん!」」
咲の呼ぶ声が、祐也の頭に反響する。
もう一度彼女と過ごせた日々が、ずっと続くように。
祐也は死神へと向き合った。
『・・・フフ、そうこなくっちゃ!』
灰色の毛並みを震わせて、死神は大きく口元を歪ませた。その表情は嬉々としていて、どこか楽しげでもある。堂々と二本足で立ち上がると、死神は両手を広げて高らかに宣言した。
「『さあ、ゲームを始めよう!』」
『・・・もう一度彼女を助けるために、ね』
ふたたび意識が遠くなり、祐也はベットに身体を預けた。
《咲、待っててくれ。必ず俺が助けるからな》
祐也は決意を新たにし、薄暗い部屋の中で完全に意識を手放した。
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