生命の図書館









「おめでとうございます、――さん。元気な女の子ですよ」

 

もうろうとする意識の中、私は目を開けた。

その声と共に、自分の胸の上になにか暖かいものが置かれたのがわかった。

「さあ、抱っこしてあげてください」

どくん、どくん。

赤ん坊だった。

猿のように真っ赤な顔をした、両手に収まるほど小さな存在が

“私はここにいる”と主張するように産声をあげていた。

「ああ…ようやく会えた。私のかわいい娘」

私は愛しいその子を抱き寄せた。

どくん、どくん。

胸の鼓動が私のそれと重なる。

これからずっと、この鼓動を重ねて生きていこう。

大好きなあの人と一緒に。

 

 

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(これは…)

 場面が切り替わる。

私は相変わらず病室のベットの上にいた。

 傍らで眠っているのは、おそらくあの時の赤ん坊だろう。小さかった赤ん坊は三歳くらいの女の子に成長し、母親である私の腕の中ですやすやと眠っている。両手サイズだった赤ん坊は、両腕に包み込めるほどの大きさになっていた。

 
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「チカは相変わらず泣き虫ね」

 

パイプ椅子に座った旦那が苦笑しながら同意した。

「まったく困ったもんだよ」

娘の目元をぬぐう。涙の名残がまだ少し残っていた。

相変わらず夜泣きが激しいらしい。先程もさんざん泣いて、ようやく落ち着いたところだ。

「本当は、私がずっとそばにいられたらいいんだけどね」

「…言うなよ、それは。大丈夫だって。病気なんかすぐに良くなるさ。

そうそう、最近チカが家事を手伝うようになったんだ。チカがキャベツをちぎってくれて、それでサラダをつくると喜んで食べるんだよ」

「へえ、そうなの!?私も食べたいな〜」

「はは、じゃあ今度持ってくるよ。ホント、子どもの成長って早いよな。

…あっ、ちょっと待ってて。会社にメール入れてくる」

「うん」

慌ただしく出て行く彼。仕事が忙しい中でも、こうして合間を縫って会いに来てくれる。

申し訳ない反面、入院生活での密かな楽しみだった。

「ふえ…ママぁ…」

「はいはい」

腕の中で娘がむずかる。トントンと軽く背中を叩いてあげると、また静かな寝息が聞こえてきた。

どくん、どくん。

てのひら越しに鼓動が聞こえる。

生まれたばかりの頃より力強く、緩やかになった鼓動は相変わらず自身の存在を主張していた。

「…」

そっと自分の胸に手を当てる。

とくん、とくん。

私の心音は日に日に小さくなるばかり。

この子とあとどれくらい鼓動を重ねて生きていけるだろうか。

私は不安を胸に押し込めた。

  

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(やっぱりそうだ。これは)

 場面が切り替わる。きっとこの“物語”はこれで終わるのだろう。

 場所は家の一室へと切り替わった。

これは私もよく知っている光景だ。

(いや…やめて)

 この先を見たくない。それが本心だった。

(大丈夫よ)

優しい少女の声が聞こえた。

そして、まるで誰かがページをめくったように、物語は最終章へと動き始めた。

  

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とうとうこの日が来てしまった。

 

居間に置かれた布団の上に、私は力なく横たわっていた。

周りには父と母、旦那に、六歳になったばかりの娘。

その小さな背中には不釣合なほど大きなランドセルを背負っている。

あと数ヶ月もすれば、入学式が始まるのだ。

どうせなら娘の晴れ姿を見てから逝きたかったけれど、それももう無理らしい。

 

「今までよく頑張ったな」

旦那が泣きそうな笑顔で声をかけてくれる。

口元を引きつらせた顔がちょっとおもしろくて、思わず口元をゆるめた。

―あなたも、今までありがとう。

「チカのことは心配するな。わしらで立派に育てていくさ」

そう言って両親はしわしわの顔をさらにしわくちゃにして話した。

三十数年生きてきて、親の泣き顔というものを初めて見た。

―お父さん、お母さん。先に逝くことになってしまってごめんなさい。

 

「…ママ」

泣きそうになった私の顔を、小さな手のひらが触れてきた。

チカだ。

六年前にこの世に生まれてきた赤ん坊は、こんなにも大きくなったのか。

抱きしめるどころか、腕をあげることすらできないこの体が歯がゆい。

「ママ、ねむいの?まだカラダ、イタイイタイする?」

まだ死の概念を理解できない娘は、少し場違いなことを口にする。

病魔の痛みに苦しむ体を、この小さな手が懸命になでてくれたこともあったっけ。

―うん、そうだね。眠いのかもしれない。でももう痛みとかは感じないな。

「あのね、おひるねおわったら、またたくさんおはなししよ?

ママのだいすきなサラダもつくっておくね。

いっぱいたべて、はやくげんきになろうね。

そしたら、にゅうがくしき、いっしょにいこう」

そう言って娘は優しく頬をなでてくれた。

すべすべとした肌の感触が心地良い。

―ああ、そうね。ママ、約束したもんね。入学式には一緒に参加しようって。

―でも…ごめんね。約束守れそうにないや。

見慣れた天井も、家族の顔も霞んでいく。

頬にかかった手のひらのぬくもりだけが、最後の最後まで私を引き止めた。

―チカは泣き虫だから、ママがいなくなったらまた泣いちゃうかな。

とっ、くん、っとくん。

胸の奥の心音が小さくなっていく。

 

―ごめんね。ママはここまでだけど、

―ママはパパやじじばば、チカに出会えて幸せだったよ。

 

とっ、くん。

最期の鼓動が鳴り響く。

 

 

―ママはずっと、チカの幸せを願っているからね。

 

 

私は頬のぬくもりを手放し、静かに息を引き取った。

 

 

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『―――松山宏子、×年×月×日に死亡』

 

 最後の一文を読み終えた時、私はようやく自分が涙を流していることに気づいた。

「お母さん…」

 目の前に白いハンカチが差し出される。顔を上げればいつの間にか真っ白な少女がすぐそばに来ていた。足元では灰色猫がどうしたのかと言うようにこちらを見上げている。

「おかえりなさい、どうだった?これはあなたの探していた“物語”だったかしら?」

「ふあい…」

 受け取ったハンカチで涙を吹きながら、どうにかそれだけ答えることができた。涙を拭き続けるあいだも図書館の管理人は優しく見つめてくれていた。

「私、小さい頃に母が亡くなって。大きくなるにつれてどんなことを話したとか、思い出せなくなっていて…それがずっと気がかりだったんです。このままお母さんのこと、全部忘れちゃうのかなって。そしたらまた涙が出てきて」

 私は最後の涙を拭き終えると、真っ白な少女に向き合った。

「でももう、泣くのはおしまいですね。お母さんの分もたくさん笑って、幸せな人生を送ります。そして、かけがえのない私だけの物語にしますから!」

「…そう、それがいいわ。頑張ってね、松山千佳(まつやまちか)さん」

「はい!」

 少女の励ましに、私は元気よく返事をした。

 

 

 ―――…ゴーン、ゴーン。

 どこからか鈍い鐘の音色が聞こえた。

 管理人の少女は空を見上げ、目を細める。

「そろそろ時間ね」

「え?」

「あなたも、もう帰らなくちゃ」

 少女がそう言うと、私の周りがうっすらと揺らぎはじめた。ステンドグラスにうつされた陽光が全身を包んでいく。

「そんな、私まだ」

「大丈夫よ。あなたがまた来たいと思えば、いつでも来れるから」

 戸惑いの声を上げる私に管理人は優しく微笑みかけた。顔の面影は自分よりもずいぶんと年下のものだけれど、まるで母が自分に向けたような、すべての不安を和らげる笑みだった。

「あなたが誰かの“物語”を必要とする時にまたいらっしゃい」

 少女は先ほどの書物を私に手渡した。分厚くて重厚で、でも中身は暖かい物語の詰まった大切な書物。

「それまでこの本は“貸出”にしておくわね。ここでの出来事を胸の奥に大切にしまっていてね」

「にゃー」

 そういって真っ白な少女は手を振る。灰色猫も彼女の腕の中で小さく鳴いて見送ってくれた。

 大きな書物とハンカチを手に、私はゆっくりと目を閉じた。

 

「私たちはいつでも、あなたが来るのを待っているわ。どうぞ、良き人生に良き物語を!」

 

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「…おはよう」

「あら千佳、休みだからって少し寝すぎなんじゃない?もうご飯も冷めちゃったわよ」

「ごめん、おばあちゃん。今食べるから」

私はあくびをかみ殺しながら仏壇の前に座った。

窓から差し込む光に照らされた母の写真が、今日も優しく微笑んでいる。

「おはようお母さん。昨日はいい夢を見た気がするんだ。どんな夢だったかは覚えてないんだけど…目が覚めたらなんだかふわふわして、すごく幸せな気分だったの」

 遺影の母の表情は変わらない。けれども今朝のその顔は、私の知らない何か楽しいことを知っているような、そんな笑顔に見えた。


「もしかしたら、夢にお母さんが出てきたのかもね」


 私は母に負けないくらい笑ってみせた。
 自分は今幸せだと、目の前のあなたに伝わるように。 



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というわけで、ようやく更新しました。
遅くなってしまってすみません;

今回は新キャラを交えつつ、図書館の仕組みというか利用方法についても書いてみました。
自分でも読み直していまいちわからん!なので少し補足を。


01:管理人の方では、「私」は図書館の本を普通の本として読んでいましたが、
02のチカちゃんは物語の主人公(つまりお母さん)の視点で物語を“体験”しています。
これはチカちゃんが“利用者”として図書館に来ているからです。
(なので同じ物語(=記録)である「私」は読むことはできても“体験”することはできません)


図書館への行き来は簡単に言うと『なんか寝てたら来てた』です←
要は夢と同じなので、目が覚めると覚えてないのが基本です。
でも楽しい夢を見たあとって、覚えてなくてもなんとな〜くいい気分になりますよね?
利用者たちも同じで、記憶になくてもなんとな〜く気持ちが軽くなって、
その後の人生を歩んでいきます。

・・・なんだか自分で説明しておいてさらにわからなくなりました(笑)
設定をうまく小説中で説明できるようになりたいです;


あ、今回はちょっと出でしたが、次回からは新キャラの二人にも
もう少しスポットを当ててきたいと思います。
あとそれぞれの役職についてももう少し詳しく書きたい。

そしてさりげな〜く長編小説“君が死ぬまでワガママを”のグレイも登場しておりますが(笑)
この子にも実はお話中で役割を担ってもらってます。
上記の作品とリンクするところもあるので、合わせて楽しんでいただければと思います。




それでは、読んでいただきありがとうございました!







2012,11,10

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